今日の言葉
二宮翁夜話より引用
147〕難事をあとにする変通の道
翁のことばに、何事にも変通ということがある。これは心得ておかねばならない。別のことばでいえば権道だ。困難なことを先にするのは聖人の教で、それは、たとえば、まず仕事を先にして、それから賃金を取れというように教える。しかし、たとえば農家に病人などがあって、耕作や除草が手遅れになっているようなとき、草の多い所を先にするのは世上一般のやりかただが、このようなときに限って、草が少くて、いたって手軽な畑から手入れして、草のいたって多い所は最後にするがよい。これは最も大切なことだ。いたって草が多くて、手重の所を先にするというと、大いに手間どれて、その間に草の少い畑もみな一面に草になって、どれもこれも手遅れになるものだから、草が多くて手重な畑は、五畝や八畝は荒らしてもままよと覚悟して、しばらく捨てておき、草が少くて手軽な所から片づけるがよい。それをしないで手重な所へ掛かって、時日を費していると、総体の田畑が順々に手入れが遅れて、大きな損になるのだ。国家を復興するのも同じこの道理であって、心得ておかねばならない。また、山林を開拓する場合に、大きな木の根はそのまま差しおいて、まわりを切り開くがよい。そうして三四年もたてば、木の根は自然と柄ちて、力を入れずに取れるのだ。これを開拓のときに一時に掘り取ろうとしても、労が多くて功が少い。百事このとおりで、村里を復興しようとすれば必ず反抗する者がある。その扱い方もこの道理であって、決して取りあわず、さわらずに、度外に置いてわが勤めを励むがよい。
【引用 二宮翁夜話(上) 福住正兄:原著 佐々井典比古:訳注】
面倒な事は先にするのか後にするのか
職場などで、面倒なことを最初に終えるか、それとも最後にするかは判断が難しいところです。
聖人の教えによれば、「困難なことは先にする」とあります。
困難なことに取り組む際は、エネルギーを多く消費します。
自分自身のエネルギーが充実しているときは、まず困難なことに取り組むべきです。
しかし、エネルギーが不足しているときには、困難なことを行うことができず、結果としてそのままズルズルと先延ばしにしてしまうことになります。
この、何もせずに先延ばしにすることこそが最大の問題です。
二宮金次郎は、自分のエネルギーが不足しているときは、簡単なところから始めるようにと説いています。
これは「積小為大」、つまり、小さな行動が積み重なって大きな結果を生むという考え方です。
「面倒なことを先にするか、後にするか」の二択で考えるのではなく、自分のエネルギーの状態を把握し、自分に相応しい行動を必ず行うことが大切だと感じました。
二宮金次郎の夜話147段「難事をあとにする変通の道」を読んで、そんなことを感じました。