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願いと行いを一致させること

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今日の言葉

二宮翁夜話より引用

102〕悪因悪果は神明の加護
あるひとがいった。私は運が悪いのでしょうか、神明の加護がないからでしょうか、思うことなすこと、食いちがってうまく行きません。翁はさとしていわれた。そなたは心得ちがいをしている。それは運が悪いのでもない、神明の加護がないのでもない。実は神明の加護があり運が良いのだ。ただ、そなたが願うことと、することとが違うからいけない。だいたいそなたの願いは、うりを植えてなすびをほしがり、麦をまいて米をほしがるのだ。願うことがうまく行かないのではない、できないことを願っているのだ。それでいて、神明の加護がないとか、運が悪いとかいうのは、間違いではないか。およそ、うりをまいてうりがなり、米をまいて米がみのるのは、天地神明の加護なのだ。だから悪事をして刑罰が来、不善をして不幸が来るのは天地神明の加護であって、ちょうど米をまいて米がとれるのと同じことだ。それを、神明の加護がないというのは間違いではないか。
【引用 二宮翁夜話(上) 福住正兄:原著 佐々井典比古:訳注】

願いと行いを一致させること

稲を育てるには米の種を播き、大根を育てるには大根の種を播く。

米の種を播いても大根は育ちません。これは子供でも分かることです。

種を播くという行為が、結果としての実りを生み出します。

これは自然の法則です。

結果を変えたい場合、播く種を変えることです。

しかし、多くの人々はこの事実を理解していないようです。

例えば、幸せになりたいと思いつつ、不平不満を口にする人々。

良好な人間関係を望みつつ、他人の悪口を言う人々。

私たちの日々の行動は種であり、その結果が私たちの人生の収穫です。

行動と願いが一致しなければ、願いは叶いません。

これは当然のことですが、結果だけを追求し、自分の行動(種)を変えずに生きている人が多いのかもしれません。

二宮金次郎の夜話102段「悪因悪果は神明の加護」を読んで、そんなことを感じました。

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