夢がかなう

 我々は誰もが夢を持っている。職がない人は職を持つのが夢だろうし、結婚が夢であるという人も友人の中にはいた。

 夢があるから人は生きていける。精神的な意味合いでは特に重要なことで、一所懸命働くのも、失敗しても腐らないのは夢を持っていることが大きい力を発揮する。

 今平均的な人の夢とはどんなものだろうか。病気で苦しんでいる人が健康を取り戻すのも夢だろうが、それは皆が言う夢とは少し趣を異にするようだ。

 夢とは精神的であれ物質的であれ普通の生活をしている人が努力で達成できるかもしれない事物を手に入れることだと定義しても差し支えないだろう。

 もちろん私にも夢はあった。それは大きなことではなかったのでやがて達成できたが、他の人もそんな経験があるだろう。

 結婚したての若い人は自分の住まいを手に入れるのを夢としているだろうし、会社に雇用されるのを好まない人は自身の会社を運営してみたいだろう。

 だがその夢が達成できた時、夢を持っていた時の精神構造はどのように変わっただろうか。実現できたしばらくの間は幸福感で一杯になり、周りが花園になったように思うかも知れない。

 だが人はいつももっと上の物や事を求めるものだし、今まで夢だったことが夢ではなくなり、現実になるとそれにまた不満が生じる。

 そして新しい夢を持ち、それを求めてまたさすらう旅に出る人も多い。それが繰り返され、人は悲しいことに死を迎える準備に入る。

 そうだとすると夢とは何だろうか。そんな定義をしても意味がないかもしれないが、それでも夢を持ちたい。大きな家に住む。美しい人や頼りがいのある異性と結婚する。

 叶えやすい夢もあるだろうし、まず無理だろうと考えられる遠い夢もあるだろう。だが夢はある方が良い。

 ある友達が、長いサラリーマン生活から脱出して会社を立ち上げた。その人は経営手腕があったらしく、会社は繁栄し、資金にも大きな余裕が生まれた。

 彼は貧乏育ちだったので、まずは高級なレストランで食事を摂ることを始めた。食うや食わずの生活をしていた彼に取って高級レストランでの食事は夢の一つだったのだろう。

 だがこんなことはしばらくすると飽きる。そこで思い切って住宅を購入することにした。これこそが彼の長年の夢だった。狭い部屋に親兄弟と暮らし、自分の部屋もない、勉強するコーナーさえないような生活からすると住宅を持つというのは誰が考えても夢に違いない。

 まず通勤に便利が良いところに土地を買い、そして有名なデザイナーと契約をして建築が始まった。夢が叶う。長年の夢が今実現しようとしているのだ。

 色々と要求したので、建設の時間は掛かったが、その家も落成した。そして初めての入浴。その時の幸福感は言いようがなかった。

 窓には透明ガラスがはめ込まれていて、外は灯篭が置かれた庭になっている。浴槽は大きく、洗い場も両手を広げてもまだまだ充分余裕があるくらいだ。

 自分は成功したのだ。夢が叶った。幸せの絶頂がそこにはあった。妻にはその家が完成するまで見せなかったので、完成後その家を見た妻は驚いた。もちろん近所でも一番大きな家で、門構えも立派で、自分たち家族の苗字が表札に彫られている。

 妻は美しい女性だが、平凡な家庭の娘だった。だがこの家に越してきてから自分はリッチになったのだという自覚が生れた。

 

 その家での生活が1年、2年と経って行く。だがそのうちに慣れてしまった。どこを見ても同じだ。毎日同じ大きな家で同じ状況の中にいる。

 ある日彼は考えた。夢は叶ったがこれが果たして本当に自分の夢だったのか。では今夢があるのか。事業を大きくするのは夢と考えても良いが、子供のころから見ていた夢とは願望の度合いが違う。

 そのように分析すると自分にはもう夢はないように思えた。夢のない生活。大きく言えば夢のない人生。空しい。こんなことならあんな立派な家を建てるのではなかった。

 夢というのは小学生だったころの遠足と同じだ。遠足の前の夜が一番楽しい。夢は実現しようとする過程が大切なのであって、夢の実現は夢を壊すだけに過ぎない。彼は今元気がない。会社の経営にも不安がないし、欲しい物は全て手に入れた。これから何をすれば良いのか。過去の夢があった時代に戻りたい。だがそれは不可能だ。

酒巻 修平

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