沈黙の営業マン
我が社にあまりたちの良くない営業マンがいた。たちが良くない理由はここでは論旨ではないので省く。
彼は客を会社に呼んで商品を売っていた。当時我が社は他社にはない商品の輸入に成功していて、客は我が社の商品を欲しがった。
客が事務所に入ってきてまずやらなければならないのは、この営業マンの演説を30分ほども聞くことだ。
私はその営業方針を好まなかったが、彼の売上成績が良くて黙って見ていた。彼は商品説明をするのではなく、自分の営業方針であるとか、身内のこととかを滔々とまくし立てる。
客はそれを黙って聞いていた。商品が欲しかったのか、彼の話に得るところがあったのかは当時私にも分からなかった。
その彼が我が社から独立して販売会社をやり出した。独立したというのは彼を庇っての言葉だが、実は馘を切ったのだ。正当な理由だったが、それも論旨と関係がないので、ここでは述べない。
彼は我が社にいるときや前社でも営業成績が良かったので、相当営業には相当自信があったようだ。
ところが会社を設立してから2,3年もしたころ、彼の会社が倒産したという風聞が聞こえて来た。調べてみたら風聞は事実だった。
自慢してはいけないのだろうが、我が社は当時商品開発能力に優れていて、顧客が欲しがる商品が一杯あった。当時輸入業は現在ほど盛んではなかったので、そんなこともあって、他社との競合では優位に立っていたのだ。そんなことが理由でおしゃべり営業マンの成績が良かったのだと今は思う。
ここにもう一人営業マンがいた。彼は先ほどの営業マンと違って話が上手ではない。客の話をただ聞いて頷くだけの能力しかないと、評価は良くなかった。
彼も独立した。我が社から独立した人は今では10人を超えていて、小企業としては上出来だ。彼の会社の噂はあまり聞かないので、どうしたかなと気にはなったが、独立した人のことだ。忘れてしまった。
その彼と道でばったり会った。お茶でもということで、喫茶店に入って近況を聞くことにした。
会社を設立して5年目だそうだ。最初の3年間はさんざん苦労をした。それでも頑張ったら、4年目に入るころから黒字に転換して、今では経営は順調に推移していると言う。
相変わらず彼はしゃべらない。仕方がないので、私が差しさわりのないことを話し出した。すると彼は一所懸命私の話を聞いた。
上手に相槌を打ちながら、話を誘導していく。つい私も話し過ぎた。彼の沈黙の話術に乗せられた私は苦笑するよりなかったが、別れた後の後味は良かった。
私も話を聞くのがあまり上手ではない。願わくは沈黙の彼のように聞き上手になりたい。彼は一流の営業マンに成長していた。
商品を仕入れる担当は仕入係だ。仕入係も話好きだ。そんな話好きの人には話させなければならない。だから彼のような聞き上手が望まれる。
彼ほどの聞き上手の人はあまり見かけない。立場が下で聞かなければならない人は別として、酒場で会話をなんとなく聞いていてもほぼ全員が話をしたがって、聞きたがる人はいない。
酒巻 修平