酒巻 修平の半生記 2 - 戦後の食糧事情

 戦争が終わっても暫くの間は飛行機の爆音が怖くて、布団を頭に被って震えていたことを覚えている。しかしもう戦争は終わったのだと安心して、そんな行為はいつの間にかしなくなった。

 人々を一番苦しめたのは食糧難だ。アメリカは日本との戦争をしてもまだ国力にゆとりが充分あったのだろう、日本に食料の援助を行った。我々は学校で援助された脱脂粉乳という豚の餌を食べさせられた。

 それがどんなものか、今ははっきりと覚えていないが、飲み物で、飲もうとすると気持ちが悪いような代物だった。だから私は飲まなかった。家は貧乏だったから、その脱脂粉乳の代わりにどんなものを食べたか、それも今は覚えていない。

 住んでいる家のはす向かいにあった家ではときどきおやつに芋を切ったものをフライパンで炒めて子供に食べさせていた。それを一度私ももらったことがある。あんなに美味しいものはなかったが、二度ともらえなかった。

 おじいちゃんの田舎は四国の徳島の農村地帯にあった。そこから時々からからに乾燥した干し芋が届いた。固すぎて噛めないもので、煮て食べる。これが美味だった。人生の中であんな美味しいものは二度と食べられないと思う。勿論、今食べるとあの時の喜びを再現することはできないだろうが、その干し芋が届く冬を待ち焦がれたものだった。

 どの家でも麦飯を主食としていた。今時代劇を見ると貧しい町家でも麦が入っていないいわゆる白米を食べているが、江戸時代に貧しい町民が白米を食べていた訳がない。時代考証が拙いのか、面倒だから無視したのか、鼻白む。そう言えば大身の武家の庭の意匠、あれは何だ。全くセンスがない。

 そのころ芋は今のように高価ではなかったので、芋をたっぷりと入れた粥をいつも食べさせられていた。4杯も5杯も食べた記憶がある。これも美味しかった。少し塩が入っていて腹が空いた子供には御馳走だった。

 その芋の調理法を兄が考えた。近所の空き地で拾ってきた木切れを燃やし、その中に生の芋を入れて焼き芋にしようという魂胆だ。この兄は頭が良くて何でも考案する人だったが、健康優良児だったのに先年早くしてなくなった。そんな焼き芋の作り方を近所の子供も真似をし始めた。

 子供たちにも派閥があった、真似た派閥とはちょっとしたライバルだった。と言っても私は向こうの派閥の親玉と将棋をした記憶があるから、感情的なものはなかったのだろう。でも何かにつけ張り合っていた。

 焼き芋は火に直かに入れるものだから、皮は真っ黒だ。もったいないから皮など捨てられないので、口の周りを真っ黒にして食べた。そのうち兄がまた新発明をした。

 今度は地面に適当な大きさの穴を開け、そこに芋を入れる。それから網を被せて網の上に木切れを乗せてから火を付ける。細工は流々、芋は焦げ目もなく、皮も柔らかい。そのやり方は極秘で、向こうの派閥の子供の前でこれ見よがしに焼き芋を食べた。この発明を兄はいつまでも自慢していた。

 私が中学生になるころ我が家はますます貧乏になった。昼ごはんを買うお金がない。とても腹が減ったが、仕方がない。そんなに貧乏だというのが、恥ずかしくて私は昼ごはんを食べていないのに、食べたと友達には嘘を付いた。

 対策を立てなければならないので、中学に入ったら新聞配達をすることにした。朝3時に起きて4時ころから配り始めて2時間くらい掛かる。だから学校では寝てばかりいた。

 そのころ近所の人がアメリカザリガニを川から取ってきて、茹でた。男の人がやっていたので、見ていると食べてもいいよと気前がいい。沢山たべたが美味しいものではなかった。そのザリガニを今では食べるという。世も変わったものだ。

 私は何の才能もなかったが、弟は営業上手で、屋台のラーメン屋さんに子供ながら職を求めた。私も一、二度手伝って給料はもらえなかったが、ラーメンを食べさせてもらった。

 当時の食パンは茶色をしていて拙かった。進駐軍の食パンは美味しいというので、食べたことがある。白くてとても美味しかった。白いのは漂白しているからだと思えるが、今のアメリカ製のパンは拙い。世の中変わった。

 そう言えば進駐軍の軍人がチューインガムやチョコレートをよくくれた。子供は争ってそれをもらい食べたが、あんな美味しいものはなかった。そのチューインガムを作ることを考えて仕事にした会社が家の近くにあった。今はチューインガムではほぼ独占状態だ。その会社は社名を「ロッテ」と付けて、今は大きくなった。

 中学校に入ると生徒は皆、弁当を持って行く。今は給食があるのかどうか知らないけれど、当時は給食制度などないものだから、家の人は入れるおかずに苦労をした。私の弁当にはいつも鰯の焼いたものが一、二匹入っていた。美味しくはなかった。

 何もかもが面白かった。今は暖衣飽食の時代だが、美味しいものを食べてももっと美味しいものを食べたいと思う人が多い。貧乏の味を知らない。かく言う私も例に漏れない。

酒巻 修平

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