17-3-2のニュース裏読み - 人工知能の開発

「最近のコンピューターは自発的な判断力や感情まで備え、人間と同等かそれ以上の精神活動を行う能力を秘めている」。

 この文章には内容の正しさ、正確さに数々の疑義がある。多分元のニュースソースの読み違え、あるいはそのソースの誇張、コンピューターに対する無知があるのだろう。

 察するに書いた人にはコンピューターに何かの作業をさせるプログラムを構築したことがないので、プログラム構築の大変さや所要時間、あるいはプログラムとはどのようなものかの知識がないのだ。

 最近碁か将棋で名人を負かしたコンピューターがあったと報じられた。これは本当だろう。コンピューターには人が計画した同じ作業を繰り返し、記憶する大きな能力があるからだ。

 しかしこのコンピューターのプログラムの構築に何年の月日が掛かり、作業の元になる過去の対戦のデータの存在があり、それの良いところをインプットしながら、試行錯誤して作り上げた結果であると言う事実は無視されている。

 最初の文章の中の「自発的」ということからして意味不明だ。コンピューターが人間のように必要と思われるデータを選び、インプットを自動的にやるということなのだろうか。もしそうなら大きな間違いである。コンピューターはロボットに搭載して歩かせることは簡単にできるだろう。しかしどのデータをどのようにインプットして保存するかという機能はない。全て人の手を煩わす。

 全ての人が記憶したいデータは違うし、同一人物でも体調、天気、周囲へ気配りなど多くの要素でどのデータをインプット、即ち、記憶するのかは絶えず変化している。それはコンピューターには求められない能力であり、プログラムの構築には人力が必要なのを筆者ば完全に無視している。

 次に「判断力」をコンピューターが持っているというのも、誤解だ。「判断」が如何なる過程を経て行われるのだろうか。それはある事柄についての一部あるいは全部を予め脳に組み込まれた思考、選択などの多種多様で複雑な要素機能で分解し、組み立て直し、統合し、何らかの結論を導き出す脳の作用の力だ。人にはそれぞれの場面で違う規範や考え方、などがあるのにどうして「判断」をコンピューターが行えるのか。あるいは「判断」の正確な定義は何なのか、筆者は決定できるのだろうか。

 再度確認しておきたい。コンピューターのプログラムはあらかじめ保存されているか新しく取り込むデータに対して同じ動作を実行させるシステムだ。上記のように人は同じ動作をしない。それにどのように対応するというのか。

記事中の「感情」とは何か。「精神活動」とは何か。定義さえできない人間の脳の働きをどのようにコンピューターに行わせるのか。記事は無責任な事柄を平然と述べている。

一方記事ではコンピューターは「創造的」なことはできないと言っている。「精神活動」ができ「感情」があるコンピューターは創造をできないのか。矛盾に満ちたこの記述はどこからきたのか。まことに奇妙なことだ。

記事は馬鹿らしいことの連続なので、読むのを止めようとしたら、将来的には創造もできると書いてある。この人は創造とはどういうことなのか、分かっているのだろうか。人もいない、何のデータもない。そこから言葉や文字をどのようにコンピューターが創造できるのか。もう読むのは面倒だが、最後まで頑張ろうと思う。

「共産主義が夢に過ぎず、その過程の社会主義的分配が強権と官僚主義を招くことを人類はすでに学んでしまった」。そんなことを学んだのは事実を正確に分析していない人だけではないのか。事実は「社会主義的分配」をスターリンがそのようにねじ曲げただけで、違う人に手になれば違う結果を起こしただろう。

この人は日本には社会主義がなかったと思っているようだ。日本では今はほとんど滅んでしまったが、過去には社会主義的な状態が存在したのを知らないのだろうか。

大会社で、ある一定の条件(例えば大学を卒業したとか)があれば、能力に応じて仕事をし、同一の賃金を得ていた年功序列という制度があった時代が最近まで続いていた。完全ではないがこれは社会主義の理念を追求したものだ。スターリンは社会主義などを求めなかったし、現在の中国の馬鹿指導者もそんなことを考えてはいない。彼らは自分だけ良い目をみようとしただけで社会主義とは何の関係もない。

社会主義の名を借りた独裁主義の崩壊や現状を見て、社会主義は「弊」しかないと判断したのだろうか。ここでも「新しい深淵な英知を将来の人工知能に期待する」としている。人が介在しないで、どうして深淵な英知が生まれるのか。

さらに言う。「人工知能にはこの死という断絶がなく」。ロボットやコンピューターには死がないのか。金属疲労をしないし壊れないのか。私のコンピューターはだいたい5~10年で壊れ、買い替えている。

 「カールワイツは『不連続点は近い』という本を出したと言う。私はその本を知らないので、「言う」だけだが、多分そんな本があるのだろう。しかしその本の出版の目的は金儲けではなかったのか。人の目を引くタイトルを付ければ大勢の人が買うからではないのか。読むに価いしないのは明らかだ。

「文化伝統には古典と呼ばれる今はなき価値があり」もどう解釈すればいいのか分からない。ここはコンピューターの論旨から外れるので、考えをおくとしても何だかおかしい。

しかし最後にはまともなことも書いてある。「人工知能を研究し、」である。将来を予測する難しさはデータをどれだけ多く処理しているかに掛かるが、学者の予測は感情など人の大脳が生み出すデータを全く取り入れていないので全て間違っている。40年ほど前、あと40年で石油は枯渇するという学者が多かった。

ロボットが人間と同じ脳の働きをできるとは思わないが、もしできたと仮定してもその時には人間の感情がそのロボットの生産を止めさせるだろう。

仮に筆者がいうロボットを作れたとしても、それは人の大脳が生み出す一部だけをデータ化して、作用させたものになるだろう。そんなロボットが人と同等の仕事や作業ができる訳がない。仮定の上に仮定を持ち出して、将来あたかもそのようなロボットが存在するとしているとしている。

報道の本当に意義の一つは出来事を正確に伝えることであるが、最近はそんな意義を軽んじて、人の関心を引くために事実を歪めることも平気で行われている。この記事は新聞の報道の危うさを教えてくれた貴重なものだ。

酒巻 修平

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