人は自分しか信じない - チーク材の割当制

前にも書いたかも知れないが、私が学校を卒業して勤めた会社にはエアコンがなく、夏は窓が開けっぱなしにしてあった。

 私はまだ23歳。夏の暑さなどものともしなかった。ある日、昼食を終えると直射日光が差しているソファで寝ていた。ぐっすりと眠ったと思う。

 眠っているときに会社の社長が来たらしい。いつもは工場にいるらしいのだが、その日は貿易部に様子を見に来たのか。

 午後の仕事が始まるとすぐ、私は部長に呼ばれた。「来月、ビルマへ材木を買い付けに行ってくれ」との命令を受けた。何故ぼくなのかと訝って部長に聞くとお前が直射日光に当たって寝ていたから、それを見た社長がこいつは暑さに強そうだからビルマに派遣しろと言われたのが原因だった。

 そのころ海外出張を命じられる人はエリートと決まっていたが、私の場合はそうではないらしい。風変りな評価をされたものだが、初めての海外旅行だ。張りきった。

 空港へは課長が見送りに来てくれた。こんなことを許可する会社は今はないが、当時は誰かが見送り、出迎えをしてくれた。古き良き時代だった。

 飛行機も初めて。離陸して上昇しながら、私は飛行機が飛翔する理由をそのときは知らなかった。快適に目的地に向かった。

 ビルマは言われていた通り暑かった。檳榔樹の香りがする空港のロビーに入ると二人連れの人たちが迎えに来てくれていた。その人たちのぼろ車に揺られてその人の家に着いた。

 実は後輩で韓国人の同窓生の就職を日本在住のビルマ人に世話したことがあったので、その関係で親切にしてくれたのだ。その人はブリキのバケツを製造している会社を営んでいる。日本ではバケツはもうプラスティックでできていたので、まだここにはそんなものがあるのかと驚いた。

 しかし会社の経営者で、娘さんは美しいし、息子さんは上品だった。経済的にも恵まれていて、その夜は私の来緬(ビルマ)の歓迎会を開いてくれた。日本では珍しくはないが、色んな酒が出され、美しい娘さんの酌で気持ちよく酔った。

 会社の代理店の人は翌日迎えに来てくれた。またおんぼろ車にのせられて、事務所に連れて行かれた。事務所で仕入れの打ち合わせをする。当時すでにチーク材の仕入れは難しくなっていたし、日本の経済は好調だ。できるだけ大量の買い付けを命令されていたので、その線に沿って打合せをした。

 今はミャンマーと呼ばれているが、これは軍事政権がそのように呼称しろと命じたもので、国ができたころの話し言葉は「バマー」だった。それがバーマと英語ではよばれ、日本語がビルマだった。

 代理店の人とビルマ政府の事務所に行くと連絡をするから少し待てと言われて帰ってきたが、その後なかなか連絡が来ない。その間、代理店の人は親切に私を名所などに案内してくれた。

 1週間ほど経って、呼び出しがあって事務所に行くと今月から輸出は割り当て制になり、お前の会社への割当は月35トンだと一方的に言われた。これは毎月の輸入量から割り出された数字でそんなに不当なものではなかった。

 一刻も早く知らせなければならない。ビルマから電報を打ち(その頃の通信手段は電報と手紙だけだった)、その旨を知らせた。

 ところで私はその国の一番高級なホテル(外国人は皆そのホテルに泊まるーそんなに一流でもない)に滞在していたが、一人の英国人と友達になり、政府から連絡があるまで、二人で英語の映画を見に行った。

 彼の口癖は「If you go, I go」というもので、そう言われると飲み屋はないし、映画を見に行くくらいしか娯楽はなかった。私は簡単に英語を話せたように書いたが、実は最初、一つの文章を話すのに1分くらい掛かっていたのだ。慣れるうちに簡単な文章は大丈夫になったが、できるだけ簡単な言葉や文章を使うことにしていた。

 ホテルではいつも苺を食べていたので、私の綽名は「strawberry king」、苺王と付けられた。何人も各国からチーク材の買い付けにきていてお互いライバルだが、そんな雰囲気はなく、皆と友達のようだった。その人たちが私を見ると「Hello, strawberry king」と呼びかける。

夕食に苺はそぐわない。ある日、海老を注文した。海老はしかし少し柔らかくて変だと思ったが、若い私は気に掛けなかった。

 下痢が始まったのは夜中だった。真夜中に英国人の友達のところに助けを求めるのも気が引けたし、朝までトイレとベッドを往復しながら耐えた。

 朝になるのを待ち、食事で一緒になった英国男に腹が痛い、壊れたというと「Hard or soft」と聞く。私が「soft」というと自分の手持ちの薬入れから丸薬を出して私にくれた。

 それは良く効いた。すぐによくなりまた海老を注文したが、こんどは身がしっかりしていた。海老を注文したのは安かったからだ。

 その英国人はMr.Tiezdelと言ったが、日本の私の家にも遊びに来た。私は日本の海老を食べさせてやると高級な天ぷら屋さんに連れて行ったら、あまり美味しくて目を丸くした。

 会社では割り当ての35トンを評価していた。曰く「酒巻は良くやった」と褒められた。しかし私は実績に基づいて割り当てられただけで、私の手柄でもなんでもないと抗弁したが、聞き入れられず、私のボーナスはその年多かった。

 人は自分の信じていることに頼り、人の話を聞かない。私の手柄ではないと言っているのに、いや良くやったと褒める。しまいに面倒になり、勝手にさせた。

 時々私はビルマ滞在中のことを思い出し、ビルマ人は世界一、性格がいいと今でも何十年前の思い出がよみがえることがある。軍事政権から民主的になったビルマのことを聞いて嬉しくなった。そしてあの海老のこともだ。

 ところで書き忘れたが、私はビルマへの入国ビサの申請を一日遅れで間に合わす予定している出発日には出発できなかった。翌週の飛行機にした。

 日本からビルマに飛んでいるのは当時BOACと呼ばれていた英国航空だ。一週間に一度のフレイトだから、私の出張は一週間遅くなった。部長に叱られた。

 確か木曜日ころが一週間に一度の定期フライトだったと記憶しているが、その日何気なくテレビを見ると私が乗る予定だったBOACの旅客機が富士山の近くで、胴体が折れて、乗員乗客全員が死亡した。原因は富士山の乱気流が強すぎたとのこと。今考えても寒気がする。

酒巻 修平

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