怪我をした力士がいたましい

私は大相撲のファンで、毎場所欠かさず見ています。もうすぐ春場所で、日本人力士として久しぶりに横綱が出て大いに盛り上がると思われます。

 現在の年6場所になったのは昭和33年からで、1場所15日制が定着したのは昭和24からでした。もともと年2場所の時が多く、力士は「1年を10日で暮らすいい男」と言われてその当時から人気があったものです。

 ただ土俵に上がる力士を見て下さい。ほとんどの力士がどこかにサポーターをしています。これは怪我などでそこの筋肉を傷めているからで、あまり見いいものではありません。

 年2場所のころは怪我をしても次の場所までは充分完治する時間もあったのですが、年6場所になってからはそうもいきません。休場すると番付が下がり、給金も下げられます。力士は無理をしてでも土俵に上がります。

 地位によって給金の額が違うというのは結果的に良い制度だと思います。力士はそれだけ真剣に相撲を取ります。花相撲と本場所の面白さの違いはここからくるのです。

 怪我をした力士は怪我をした箇所をどうしても庇うので、本来の実力が出せないし、思い切った手を使うこともできません。そのようなことをすると怪我をした箇所が悪化し、さらに悪い状態になるからです。

 私は相撲ファンとして、この状態を憂います。確かに力士にも怪我の責任はあるのでしょう。相撲の取り方、負け方は悪いとどうしても怪我に繋がるからです。柔道で最初に受け身を習うのはこのようなことに対する配慮もあるからだと思います。

 しかし力士に責任があったとして、そのような状態を許すのはいかがなものでしょうか。年2場所であれば、例え怪我をしても本場所がない時に直せるからです。

 だから強い力士は怪我が少なく、強さが際立ちます。今までの白鵬がそうでした。全ての力士が怪我もなく万全な体調で相撲を取るなら、あんなには勝てなかったでしょう。

 私は何十年も前から相撲を見ています。昔の相撲は味のある攻防が多く、技も冴えて今とは違う面白さがありました。今は解説者の話を聞いても、立ち合いだけが全てを制するよう思えるのです。

 立ち合いが重要なことは論を待ちませんが、これは自分の体力だけに頼る勝ち方です。昔は立ち合いに遅れて、形勢が多少不利にはなることはあっても、盛り返せました。それは怪我がなく、不利な体勢を持ち堪えることができたからです。

 私は年6場所になったのは相撲の興行成績を考え、できるだけ収益を上げようと相撲協会が考えたためだと思っています。

 力士は消耗品ではありません。もう少し現役の力士のことを考え、怪我をしても治す期間を与えてやって欲しいと願うのです。そうすればもっと相撲が面白くなると確信します。

 日本の伝統芸術、格闘技のレベルの高さは世界一だと信じています。その伝統的な格闘技はどこへ行ったのでしょうか。競争、柔道、空手、全て伝統的なレベルには達していません。相撲だけが何とか伝統的な技術を継承していると思えるのです。

立ち合いばかりに気を遣う今の相撲が続けば、相撲道のレベルは落ちてきて、引退して力士が親方になれば、力士を指導する親方のレベルも落ちます。そして指導される力士の技量も下がってくるでしょう。力士を消耗品のように扱えば入門者も減ります。

他のスポーツにおいても、現役の選手と監督の間では上下関係が強く、現役の選手は監督や協会の役員に運営方法に苦情を言えません。優秀なスポーツマンが必ずしも優秀な監督協会の運営者にはなれないので、度量を持って現役選手の意見に耳を傾けなければなりません。

私は今でも柔道の山下選手の試合ぶりを覚えています。あの体の使いかた、力の掛け方、技、全てが古来の柔道を継承した立派なものでした。

 優秀な営業マンが優秀な社長になれないのと同じ道理で、経営に手腕を発揮できなければ会社はつぶれます。同様に優秀な監督、協会の運営者がいなければ選手は浮かばれません。

 スポーツの協会は何とかこの状態を打破して、選手がより一層活躍できるよう協会の組織編成を考えてもらいたいと考えます。外部からでも優秀な協会運営者を連れて来てでも、スポーツを盛り上げて欲しいものです。

酒巻 修平

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