17-3-9のニュース裏読み - 残業「100時間」で労使調整

この調整が行われている背景をあまり良く知らないが、労働者側の身体の保護が背景にあるように思える。

 前にも書いたが学友の3人がトヨタに入社した。高度成長期で、彼らは毎日、終電車がなくなる前まで仕事をしていると誇らしげに話していた。

 その彼らが体を壊したということを聞いたことはない。時々残業が少ないときには一緒に酒を飲んだ。彼らは今も元気だ。

 そのことを考えると実は妻が残業時間の規制を裏で後押しをしているようにも思える。早く家へ帰ってきて一緒に過ごして欲しい、あるいは家事を手伝ってもらいたい。そんな願望が実現しようとしているのではないだろうか。

むかしから「私と仕事どちらが大切」と言って夫を困らせていた。そんなことは答えられる訳がない。反対質問として「じゃ、長男と次男どちらが大切」と訊かれても答えはでない。仕事も家庭もどちらも大切なのだ。だから土、日曜日の休みがあるのではないか。夫元気で留守がいい。

 義務が少なくなれば権利も少なくなる。それとも残業が少なくなっても同一の賃金が得られるのか。会社がどのように考えているのか分からない。

 もし少ない残業で同一の質で同一の量の仕事ができると言うなら、とても結構なことだが、どう考えてもそれは無理だろう。少数の人がそんなことをできるとしても全ての人がそんなことをできる訳がない。

 もしできたら今まで手を抜いた仕事をしていたということになりはしないか。残業量が少なくなれば達成する仕事量は確実に減るだろう。

 2,30年前から日本人はそれまでと違って、義務より権利を先に主張するようになったと思える。権利=義務なのでどちらが先でも結果は同じと見ることもできるが、精神的な観点では全く違う。

 権利が先にあるなら、多分仕事の質が低下するだろう。仕事のための仕事をして、仕事の目的が達せられたかどうかは二の次になる。定時近くになると仕事の質などどうでもいい、早く家へ帰りたい、飲みに行きたい。そんな風潮を処々で経験するのは私だけではないだろう。

 最近日本が世界のどの国よりもいい国だと具体的な事象を示すテレビ番組がある。私が頻繁に海外へ行っていたときもそうだった。仕事に対する心構えが全く違って日本は良い国だと思ったものだ。

 そんなマスターベーションのような番組を作ること自体、日本の質が落ちた証拠だ。電車で老人に席を譲る人などが稀有だ。少し前までは席に座る若い人も少なかった。たった10分20分の乗車で席を占めるのは恥ずかしいと我々が思った。

だから番組で外国の人が日本は良い国だと言っていると穴に在ったら入りたい思いがする。日本が道徳国だと思われる状況が崩壊する時代がやってきた。残業数値目標など決めずにできるだけ効率よく仕事をやり、できるだけ早く帰宅するようになどとした曖昧な規定ではいけないのか。

 最近の若い男子会社員と仕事をすると非常に面倒だ。依頼したことの最低限の仕事をやり、それに当然付帯するであろうことは依頼されていないとして、やらない。ちょっと複雑なことを頼むと昔の3倍くらいの時間が掛かる。

 最近の法律は日本を悪くするものか、悪くなることを予想して立法されたような物ばかりだ。10年後を予想するのは難しいが、多分今より規制が多くて自由にしかも道徳的に高い質の生活はもうないだろう。

 悲観的になってはいけないと思うのだが、しっかりとして道徳教育(教育勅語的なものでなく)をしてまず義務を考えた行動をしてから権利を得るような日本に戻してもらいたい。きっと誰でもが納得できる社会が実現すると思う。

酒巻 修平

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