茶道とスポーツ

一見共通するところがないようですが、動作の基本は同じであるというところから見たいと思います。

 茶道は戦国時代に盛んになり、千利休が活躍して、弟子の古田織部、その弟子の遠州流の祖、小堀遠州とつながっていきます。

 ご存知千利休は豊臣秀吉と関係が深く、古田織部は灯篭にその名を今に留めています。小堀遠州は桂離宮の庭の作者と言われ、喫茶と庭は切っても切り離せない関係があるようです。

 茶道は戦国時代の武士のたしなみの一つで、気持ちの余裕がない中でも心静かにという趣旨が含まれます。

 従ってゆっくりとした動作をしても結果として早くことが運んでいくということが要求されます。

 ここで動作を分析すると、ある動作は複数の動作の総合だと分かります。例えば家庭でもお茶を飲む時、ポットの中のお湯を急須に入れて湯呑に注ぐという一連の動作は次のように分析されます。

 お茶の缶を出して急須に茶葉を入れる。それをポットの下に置く。ポットのお湯を注ぐ、止める。この一連の動作はさらに細かく別れます。

 お茶の缶は蓋を開けて中に入っている茶さじで掬う。それを急須に入れる。この動作はお茶の缶を開けるところから始まりますが、そのためには手をお茶の缶の蓋のところに持って来て、缶の蓋を上に上げる。

 そのような一連の動作は相当複雑な動作の連続なのです。連続動作には必ず動作と動作の間に継ぎ目があります。その継ぎ目のところで少しですが、時間が掛かっています。その継ぎ目の時間を失くすと全体の動作が早くなります。

 ですから動作が始まると次の動作を念頭に置き、手が缶の蓋に掛かればそこで止まらず、手を持ってくる→缶の蓋を上げるという二つの動作を一つの動作にするのです。

 そうすると分解すると複雑な多数の動作を一つの動作の流れにまとめることができます。

 野球で外野手が飛んできた球を受けてからそれを投げるのも同じことです。グローブを開く→軽く閉じる→球がグローブに入る→グローブを開く→手を球に持って行く→掴む→投げる。単純な動作に見えてもそんな複雑なことをやっているのです。

 今は日本の野球のレベルは非常に高くなりましたが、昔はアメリカ野球にはかないませんでした。そのときアメリカの外野手は上記の動作を一つの流れとして行っていました。しかし日本の選手は球を受けてから手を球に持って行くのに動作の停止が少しありました。

 そうすると何分の一秒か球を投げ返す時間が遅れ、走者をアウトにすることができない場面がいつも見られたものです。

 ご自分でも例えば眼鏡をかける→ペンを持つ→書き始めるという動作をするときに動作と動作に間に少し時間が掛かるのを自覚する筈です。

 レストランで速く歩いているウエーターは結局仕事が遅いのを気が付くと思います。一つの動作を速くすることに気を取られて次の動作との間に少し間が開くのです。ベテランのウエーターはそんな無駄なことはしません。

 動作と次の動作の継ぎ目を失くす。これは頭の訓練になり、老化防止にも繋がります。絶えずそれを考えれば動作が優雅になり頭も使う。それが茶道の基本の一つでもあるのです。

酒巻 修平

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