中村鴈治郎(二代目)

今活躍中の中村玉緒さんのお父さんのことです。相当昔の話で恐縮だが、私はこの人のファンでした。別にファンクラブに入っていた訳ではないが、演技が好きだったのです。

 ある劇の中で玉緒さん演じる鴈治郎の娘がお父さんの弟子が渡欧して、暫く帰日しないということになった。実は玉緒さん演じる娘さんはその弟子が好きだ。別れが辛く、父の手伝いにも身が入らない。

 こんな情景の中、玉緒さんはお父さんと去りゆく弟子にコーヒーか紅茶を入れた。その中に入っていたのは砂糖ではなく塩だったという設定だった。砂糖と塩は見た目がよく似ている。

 弟子はコーヒーを飲まなかったが、鴈治郎は飲んだが、娘が弟子に惚れていることを知らない。コーヒーを飲むと塩辛い。娘が砂糖と塩を取り間違えたと知った。日ごろそんな粗相をしない娘が砂糖と塩を間違えてコ-ヒーに入れた。鴈治郎は全てを悟る。

 大写しになった鴈治郎の表情が絶品だった。大げさに顔を変化させないで、微妙な表情の動きで全てを表していた。それは驚きと意外さと玉緒への愛が綯交ぜになった父の表情そのものであった。

 我々もそんな場面に遭遇すると鴈治郎のような表情をすると思う。そこでは大げさに顔をゆがめたりしない。

 他の俳優は驚きを表すのに額から上を動かすこともある。これも訓練しないとできないものだが、実際の表情とは違うので感動を呼ばない。そんなことをしないで内面の動きを表す鴈治郎は流石だと今も覚えている。

 それ以来私は鴈治郎が出演してテレビで放映されるものは全て見た。何気ない動きや表情が何とも言えず、芸術的であるのだ。

日本の伝統芸術は廃れつつあるのか、あるいは昔ほど隆盛を誇っていない。しかし歌舞伎は今でも元気だ。私は歌舞伎を見たことがないので、偉そうなことは言えないが、歌舞伎俳優の演技は他の演技者の見本になることは間違いがない。

 日本の伝統芸術は歌舞伎以外にも数多くある。能、神楽、長唄、清元、小唄、端唄、地歌、浪曲、民謡、日本舞踊、生け花、造園、着物、日本家屋、調度品、日本画、彫刻、工芸品、香、まだまだ色々とある。

 このような伝統文化はひいき目に見て、世界一だと思っている。半跏思惟像とミロのビーナスを比べて見ればいい。ミロのビーナスは世界的な宝であるが、半跏思惟像もそれに劣らない。そのような古代の像は半跏思惟像だけではない。日本は宝の国なのだ。

 今はイングリッシュガーデン、フラワーアレンジメント、パリコレ、ロック、社交ダンスなどに人の気が行ってしまったが、もう一度立ち返って伝統芸術を見直すことはできないのか。

 実は日本の伝統芸術は作るだけではなく、鑑賞するのにも勉強をしなければならない。その努力を惜しんでは芸術が廃ってしまう。

 私はテノールを歌うので、史上最高の歌手と言われている人の発声をいつも聞いているが、その程度の邦楽の歌手は日本には何人もいたと考えている。

酒巻 修平

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