私の体験談 - ニューギニア 4

そのように私のニューギニア滞在は長くなってきたが、ある日会社から電報が届いて日本に帰ってこいとの命令を受けた。材木を積む船も来ていた。

 やっとこれで日本に帰れるとその夜は眠れなかった。持って帰るものもあまりないし、算盤とか筆記具を纏めて、袋に入れて寝た。夢はニューギニアのことでも日本のことでもなく、何だか訳の分からない物語を見た。

 私を運ぶ船は昨日から材木を積んでいる。事故もなかったので、その日の内に出航ということになった。船に乗り込んだ。

 実は貨物船の乗客室は客船より立派で、特等くらいの広さがあり、ちょっとした書き物をするためのデスクも用意されていた。金魚入れた水槽も設備されていた。

 もうバナナとはおさらばで、食事は普通の日本食だった。それでもバナナになれて小食になった胃が食事を受付けない。無理して何とか食事を胃に流し込む日が続いた。

 それでも馬鹿にされっぱなしの現地よりよっぽどいい。私は乗客扱いなので、船員さんも私には敬意を払ってくれる。現地とは違うまことに心地よい船旅が始まった。日本までは14日。その間、骨休めもできるし、本を読むことも自由だ。

 船が港から離れて行くに従って、寂しくはなったが、少しでも日本に近づいていると思うと心が躍る。向こうの駐在員の人は港まで車で送ってくれたが、私を下すとさっさと事務所へ戻っていった。

 1日、2日と日が経つ。到着まで14日掛かるなら後13日だ、12日だと数えた。もう少しの辛抱だと思うがこんな時は日が経つのが遅い。船内を見て回ったり、甲板に出て海を眺めたりした。

 船員さんと友達にでもなればいいのだが、話が合わない。甲板に出て海を眺めていると、時々トビウオが船に近づいて来て、船と競争をするように泳ぐ。それも最初は見ていて飽きなかったが、見慣れると興味を失った。

 船は鉄格子もないし、監視員もいない。しかし何だか牢屋に閉じ込められているように感じた。船員さんにそう言うと誰でも最初はそうだ。そのうち慣れるよと言われた。

 そんな船中の退屈さを紛らせるために船員さんと麻雀をする。彼らは狡かったがすることがない。止むを得なかった。

 7日経ち、8日経っても太平洋は広く見える島もない。船内はもうどこも見てしまった。機械室には機関長という人がいて、少しは話し相手になってくれたが、話題は尽きた。

 9日目だった。台風の進路に入ったらしい。船長は感でどちらに船を向けたらいいのか、予報などとは関係なく進路を決める。

 船は大揺れに揺れた。金魚鉢の中の金魚が飛び出すし、床は水浸しだ。私は船酔いしないタイプだから良かったが、沈没の危険は感じた。

 船は約10000トン。中くらいの船である。こうなると夜、睡眠が取りにくい。目を瞑るが眠れない時間が過ぎて行く。そのうちに「ごーん、ごーん」という音が船内に響き渡った。

 後で聞くとそれは「ウオーターハンマー」と言い、水が船の側面を叩く音だった。不気味に「ごーん、ごーん」と響き、何時間も続く。

 そのとき寝台の幅がやけに狭い理由が分かった。揺れて体が下に転げ落ちないためだ。体と同じくらいの幅で棒が渡してある。これは落下防止のためだ。

それでも若い私は眠ってしまった。朝起きるとウオーターハンマーの音も止み、船は揺れていない。台風の進路を船長が上手く躱したらしい。甲板に出てみると空は真っ青だった。べた凪で水面にはさざ波さえない。

それから3,4日で日本に近づいた。その日は一日中、甲板に出て、海を眺めていた。それでもまだ陸地は見えない。御前崎に着くらしいのだが、陸地の影もない。

あくる日やはり甲板に出てみるが陸地はまだ見えない。しかし横にいた船員さんが「おお、見えた。あれが御前崎だ」と私に言った。私の目はそのとき2.0だったが、陸地など見えない。目を凝らすが駄目だ。しかし船員さんには見えるらしい。陸が近づいているのだろう。

それから3,4時間、やっと陸地が私に見えた。だんだん近づいて来る。大きくなってきた。パイロットが乗船していよいよ接岸する。

船を降りるとき脚がへなへなと折れそうになった。船の上にいたので、筋肉が弱ったのだろうと思った。

日本に帰って来た。家に帰ると早速食べ放題の食事に妻と行ったが、ほんの少ししか食べられなかった。もっと食べろと勧められるが胃が受付けない。まともに食べられるようになったのは、ニューギニアを離れて1か月もしたころだった。

酒巻 修平

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