真正大阪のけち美徳

昭和39年前回のオリンピックが開催された年に新幹線が開通した。これで東京―大阪間の交通が非常に便利になった。

 そのころまでは東京の財界人や会社の社長は大阪の先輩方に会社経営や商売の在り方を教えてもらっていた。松下幸之助や宝塚を作った小林一三などが大阪の経済人の代表格だ。

 しかしそれから徐々に商売の主流は東京的になってきて、私が会社を興して10年くらい経った昭和60年ころには手形の発行枚数では東京は大阪の2倍、総金額は5倍であった。

 ビジネスは東京主体になり、大阪の総体的経済は下降線を辿った。橋本徹元大阪市長はそんな風潮を憂えて大阪都構想を立ち上げたかも知れない。

 我が社は何年間か大阪心斎橋筋に店舗を構えていた。7坪ほどに小さな店舗だが日曜日などは一日50万人もの人が通る。銀座より人通りが多いくらいの商店街だ。

 一坪当たりの家賃が月に27万円で利益が大きかったが、大家さんはこのビルを取得した前社長の娘婿で、人柄が悪かった。5,6年で我が社はその店舗から退去した。

 大阪では他にヨガスタジオなどを経営したが、これは誰よりも先に始めたので、とても収益を上げた。だから当然事務所が必要だった。店舗の近所の事務所をかりたが、事情があってそこから他の場所にを移転することにした。

 ここからが本論だが、その事務所を移転するときに原状回復をしなければならない。これは東京でも同じだが、私は挨拶を兼ねて電話だが、そのビルのオーナーに内装を新しくすることを報告した。

 そのとき相手のオーナーの方が突然怒りだした。「あんさん、何言ってまんの。そんな勿体ない。私もちょっと中を見せてもらいましたが、どこにも痛みがない綺麗なのを何で新しくしなければなりまへんの」。そう言われた私はその分の経費をクーラーの掃除に当てると言うと相手は「すんまへん。それはやってもらえまっか」と了承してくれた。

 東京で長くビジネスをしていた私はすっかり東京風の考え方に染まっていたのだが、そのビルのオーナーはいまだ大阪の商売気風を色濃く守っていたのだと思う。自分の金もけちるが他人の金の無駄遣いもさせない。見上げた根性だ。

 そう言えば私が横浜に家を借りたとき、襖の一枚に小さな穴が開いていた。大家さんは入居前に襖何枚かを全部換えると申し出てくれたが、私は小さな穴だし襖も案外綺麗だからそのままで結構ですと申し出を断ったことを思いだした。

 上京してから長くなった長い私はすっかり東京の風習に慣れてしまって、万事東京風のものの考え方をしているという自覚があったが、まだ大阪のやり方を心のどこかに残していたと思う。

 自分の金を節約するのは当然だが、大阪の経営者のような他人の金もけちって使うことは正しいことだと思う。分析して考えると取引相手は経費が少なくなる分こちらにも値上げ交渉を遅らせるとか結局利益はこちらに帰ってくるのだ。大阪の考え方は合理的なのだ。

 それ以降私はその考えで取引をするようにした。取引相手の経費の節減を考えてできるだけ協力をする。例えば中元、歳暮、年末年始の挨拶、そんなものは全て断った。倉庫会社には出荷の伴う伝票の処理などを自動で行うプログラムを自分で構築して提供したりした。皆喜んでくれている。

 ただそんな大阪の美風もあまり見られなくなった。それこそ勿体ない話だ。折角先人が守ってきた経営のいい法則を捨てることはない。

酒巻 修平

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です