ギリシャの詭弁術

詭弁とは話し合う相手あるいは聴衆に対して誠実な心を持たず、自分の利益のためだけに話す方法である。

 その詭弁術を破る方法もギリシャにはすでにあって、2000年もの歴史があるのが、詭弁術だ。

 詭弁で有名と言うか悪名高くなったのが、そのころオーム真理教の幹部だった上祐史浩という男だ。彼は相手の質問に対して答える積りなど最初からない。質問の趣旨とは関係のないことに話を逸らしてゆく。

 詭弁術はいくつも報告されているが、彼が取った方法は代表的で、かつ見破ることがやや困難なものだ。

 彼はあることを聞かれると聞かれたこと趣旨とは違うが質問の一部の重要な点を引き延ばし、拡大して、話をそっちの方に持って行く。それは相手が聞いていることとは違い、最後は主題とは全く離れてところに着地するのだ。

 聞いている人はまた着地点にある語句を捉えて、そこからまた質問をする。最後は最初の主題とは全く関係のないことになる。

 こんな詭弁を弄する人は何も上祐史浩だけではない。一般の人でも狡い人はこの方法を取るし、政治家の得意にする答弁法だ。

これを破る方法は簡単だ。例えば「あなたは3月4日にあの学校に行きましたか」と質問すると「あの日は天気が悪く、私はレインコートを着て傘をして出かけましたが、途中で友達に会い、そこで色々話をしました」という風に答える。

質問者は「そこでどのくらい時間を使ったのですか」「いやはっきりは覚えていませんが、長い時間でした。友達はその時初めて東京に出て来たばかりなので、昔お世話になった先生の話になりました」

それを破るには「そんなことは聞いていない。学校へ行ったかどうかを聞いているのだ」と言い返す。詭弁者はまた「だから、駅で友達と会って、話をして」などと巧妙に話を逸らそうとするが、また「そんなことは聞いていない。学校に行ってかどうか答えなさい」と訊きたい主題から離れてはならない。

どうも上手く例を作れないが、とにかくこのように「学校に行ったかどうか」ということには一切答えない。下手な聞き手は旨く乗せられて、話をはぐらかせられる。

テレビを見ていても評論家などの全ての質問者が上祐の詭弁にはまった。私は馬鹿らしくてテレビを見ていられなくなって、テレビを消したが、評論家の話法の稚拙さに唖然とした。

最近でも詭弁を使う人がいる。さる大学の先生の外国人で日本語がとても上手い。その人の詭弁法は少し上祐とは違う。

その人の詭弁は聞いている人は全て聞き分けているが、番組の進行を考えて司会者もクレームをしない。

自分が国籍を有しているらしい国に対して日本国が酷いことをした。自国は悪くない。悪いのは全て日本だという結果を踏まえて話を展開する。

誰かが途中で更なる質問をしようとしても声を張り上げ、早口でまくし立てるので、他の人は話をすることもできない。

これは後付けという話法で、一般人でもその話法を取る人が多い。政治家は勿論だ。これを破る方法もあるのだが、ここでは論旨ではないので、言わない。

要するにそのように詭弁を使う人の話は聞かないことだ。聞いても何の効果もない。何故ならその人には誠実な心がなく、我田引水的に自分の言いたいことを言うだけだからだ。

このように分析すると政治家や事件に関わる人が誠実に話をしているかどうか、まともな精神を持っているかが、はっきりと分かる。政治家でも誠実な人の答弁は誠実だ。

酒巻 修平

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