ニュース斜め読み - 米新入国制限も差止め17-3-16

アメリカでは新たな入国制限をするための大統領令に対してハワイの連邦地方裁判所が効力の一時差し止めを求める判断を示した。これによって全米でこの判断が適用されるとの報道に接した。

 国民の支持を得て選出され、大きな権限を有する大統領であっても、その大統領令が憲法やその他の法律に違反していると司法が判断すれば差し止められる。そんな制度はすばらしい。

 日本ではどうだろうか。国会で審議され可決された法案が司法の判断で施行差止めが行われるのだろうか。そういう事態は起こらないと思われる。

 勿論国会で審議されたということと大統領個人が適正と判断したとの違いはあるが、今回のアメリカの事態は日本の司法とは違った権限の行使の状態を示している。

 いくら世界情勢に適合させてとしても、例えば自衛隊の存在は明らかに憲法に違反した状態である。どうして日本では司法はアメリカのように独自の判断をしないのであろう。

 簡単に言えば日本では三権分立が成り立っていないのだ。しかし憲法では司法、立法、行政という三つの権力が互いに牽制するように規定されているが、これが実行されない。即ち憲法が機能していないのだ。

 すでに成立し施行されている法律、制度の中には明らかに憲法違反であるのが散見される。これに対して司法は何もしないのであれば日本の司法自体の作為、無作為が憲法違反を犯していると言わざるを得ない。

 一部法律の施行方法が時勢に会わなくなった、あるいは社会からの大きな要請がある。そのような場合には司法も行政とは違う判断を行うこともあるが、それは例外に過ぎない。

 三権分立が完全に成り立っているアメリカとそうではない日本や欧州には大きな社会の在り様の差が生じる。表面的に観察するとそれは法律の問題のようには思えるが三権分立が成り立っているかどうかは国民の感覚にも大きく影響を及ぼす。

 一人一人が正しいと思う行動を行うのはこの三権分立に代表的される意識から引き起こされる。国民が正しいと信じる世界を政府や大統領に実現するための圧力となり、アメリカのダイナミズムの元になっていると言える。

 即ち国民のための政治を行う政府がそこにあり、必要だと国民が確認すれば大統領令を差止めあるいは、憲法をも替える原動力になる。日本では政府がある立法を確信しても、独自に判断力を有しない国民は見識のある人たちが必要と認めた法律の制定や新しく社会に要請される憲法の制定、施行はあるのだろうか。

 アメリカのダイナミズムはしかし裏には問題点も包含している。富裕層と貧困層の存在と対立、白人と有色人種の葛藤、そんな二重社会は力の強い者が招いている社会現象と言えるだろう。

 アメリカは暴力により原住民から領土を奪ってから300年も経っていない。原住民にはその行為に対する補償がされてはいるが、根本な解決は行われたとは言えない。奴隷として連れて来られたアフリカ人に対していまだ有形、無形の差別がなされている。

 ダイナミズムはそれに対して良い影響と悪い加速を生じさせる。差別の解消は二面の方向に行くだろう。表面上から差別は無くなったと見えても、より大きな差別が生まれるだろう。ダイナミズムという心の作用を良い方向に向けないと優しく住みやすい社会の実現はないだろう。

警察の過度の権限行使による黒人の射殺事件も記憶に新しい。学校に銃を持ち込み生徒や先生を大量殺害したことも報じられた。アメリカにはダイナミズムの持つ暴力も存在しているのだ。

 権利の行使については力を尽くすが義務の遂行には消極的である。日本でもこの点は同様になりつつある。日本でも義務という観念が薄くなりつつある。アメリカのダイナミズムを良い方向に向かわせるのは何だろう。優しい心と弱いものと手を差し伸べる気風を醸成していかなければならない。

 それを実現するのが道徳教育だ。学校だけに任せるのではなく、家庭でも社会でも有形無形の努力をしなければならない。これには個人の痛にも小さな心身の痛みも伴うであろうが、やらなければ100年後の社会が良好な状態にはないだろう。

酒巻 修平

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