2割収入を増やす方法

「仕事の達成量=仕事の質x労働時間」の式は誰もが否定しないだろう。最近政府ではその労働時間の量を制限する政策の実行をするようだ。

 上記の式にはしかし労働者の精神あるいは意欲などが含まれていないので、更に次の式も加えなければならない。即ち「仕事の質=能力x精神」である。

 人間社会には精神と物質の二面があるのは当然である。父母の二体から生まれた個人は二つの精神と肉体を併せ持つ。良い精神と悪い精神、良い肉体と悪い肉体が個人に生まれつきもたらされている。

 これは無形と有形の二面と置き換えることが可能だ。有形のものは誰もが忘れないが、無形のことは忘れられがちである。一つの物事をやるにも精神を集中して行うのと、適当にこなすのでは結果に大きな違いが出るのは誰もが経験する。

 個人の能力の状態は多重的でかつ時間や環境などによって現れる大きさが違う。嫌なことがあればどんなに高い能力を持った人でも行動の結果は思わしくないことはしばしば経験することだ。

 政府でも学者でも個人でもこの精神が全ての社会現象に現れる事実を無知か無視で要素として取り入れない。今回の労働時間の制限措置は個人の能力をも制限するような気がする。

 労働時間を短縮しても、より質の高い仕事をすれば同一の達成量を確保させる狙いがあるのだろうが、そんなに上手くはいかない。割を食うのは会社で会社の生産量は落ちるだろう。人は機械とは違うので、労働時間を短縮しても結果として生産量が同一であり得ると政府は考えているのだろうか。

 過重労働が元で命を落とす気の毒な人がいるのは事実でこれに政府は対応しようとするのだろう。しかし気の毒ではあるがそれは例外である。ほとんどの人がそういうこともなく、労働をしている。

 例外を基準に政策を立てるのは正しいとは思えない。ある会社に例外的に優秀な人がいるとして、会社はその人を基準に会社の生産量の予測や計画を立てるだろうか。そんなことをすれば会社は立ち行かなくなる。やはり平均的な能力を見極め、会社は経営をするのだ。だから例外を基準に政策を決めてはならない。

 さて本論であるが、「仕事の達成量=仕事の質x労働時間」の式のうち仕事の質が大切なのは自明の理だが、一体どのようにすれば質を確保できるのだろうか。これは会社の仕事にように思われるが、実は個人がもっとも考えなくてはならないことだ。

 何故なら質の高い仕事をする人の収入は自然と多くなるからだ。会社は効率を考え何とか高い生産量を達成しようと努力するだろうが、個人が考えなければ達成は不可能だ。

 個人の能力は潜在している部分が大きい。自分でも気が付いていない能力が有ったりして驚く人もいる筈だ。スポーツ選手は自己の潜在能力を極限まで引き出すために練習をしている。

 一般人も同様な考えでことに当たれば労働の質はあがる。それにはまず投資をしなければならない。少し早く会社に出て仕事を始める、余暇を利用して仕事のことを考える、仕事に関する勉強をするということはその役に立つ。

 そんなことは有形の事項だが、精神の向上を忘れてはならない。例えば割り勘の時に少し余計にお金を払う、約束した時間より少し早く場所に付いて友達を待たせない。電車の中で老人に席を譲る。何でも良い。より高い精神を持つように努力すれば収入は絶対増える。

 そう言えば昔の若い人は電車の優先席に座るのは恥ずかしいと思っていた。今人は平気のようだから、今の人の方が昔の人より出来が悪いと推定できる。

 少し損をすることである。損をするのは投資であって、投資なくして金は手に入らない。しかし過度な投資はいけない。継続しなければ投資は無駄になる。小さな損をいつもしていることだ。そんな損は金銭的、時間的に大きなものではないので、簡単にできる。

 精神が高くなれば収入も増えるし、顔も美しく、上品になるだろう。そう言えば義務より先に権利を要求する人が多くなった。アメリカでも優秀な人は義務を先に遂行する。彼らは夜遅くまで仕事をするが、収入の低い人は長く働くのを嫌う。

酒巻 修平

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です