17-3-18のニュース斜め読み - 季節観測、減る生物

 モンシロチョウの幼虫の食草はキャベツなどのアブラナ科植物で、それらの農作物の栽培に伴って分布を広げてきた。日本には奈良時代に大根の栽培と共に移入されたと考えられている。

 何十年か前まではモンシロチョウはごく普通に見られる蝶であったが、最近はその数が激減していると言う。畑であったところの都市化でアブラナやキャベツがなくなったとか、外的にやられたと原因が推定されている。

 確かに庭に飛来するモンシロチョウは年間に何匹もいない。それに反してキチョウが多くなった。以前、キチョウはモンシロチョウに比較して数の少ない蝶であったが、最近は逆転してようだ。

これは多分食草が原因だろう。我が家の付近にはもうキャベツ畑はないので、モンシロチョウがどのように生息し、飛来するのか分からない。キチョウの幼虫の食草はネムノキ、ハギ類のマメ科の植物で、これは家庭の庭にも植えられている植物だからだろうか。

キチョウはモンシロチョウより綺麗だ。だから昔はキチョウを見つけると嬉しかったが、今は郊外では珍しいものではなくなった。

もうすぐキチョウが飛来するだろうが、モンシロチョウは来ないだろう。一昨年は一匹も見られなくて寂しかったが、昨年は3匹ほど見た。美しい蝶ではないが、見ると懐かしさが一杯で嬉しかった。

モンシロチョウ以外でも蝶が激減しているだろう。私は大阪の箕面というところへよく昆虫採集に行った。勝尾寺というお寺に行く前の紅葉や楓の群生地には珍しいカミキリがいて採りに行った。

その時同道した年配の採集仲間が、昔、勝尾寺の向こうには茶店があって、その軒にはヒョウモンチョウがびっしりと並んで止まっていた。今はそんなことはもうない。そのように嘆いていたが、カミキリや蝶は当時沢山いた。

そのころを思い出すと懐かしい。もしこのまま都市化が進むと30年後くらいには「昔はこの辺でも蝶が見られたものだ」などという話が出るかもしれない。今は蝶の採集はしないが、ギフチョウを求めてカンアオイを探し、ヒメギフチョウの食草のウスバサイシンの生えているところを覚えておいたものだ。

燕も子供のころの我が家の軒下に巣をつくり春になると親燕が飛び交ったものだ。その燕が近所の駅の構内に最近巣を構えるようになったと聞いて見に行くと確かに何匹も見て嬉しかった。

このまま里山の林が住宅になり、都市化が進行するとどうなるのだろうか。動植物は住処を奪われ、食物もなくなる。

ブラジルではアマゾンの熱帯雨林が大きな範囲で伐採されていると聞く。ひょっとすると地球温暖化の原因はそんなことに求められるかも知れない。

里山では防虫剤の散布はしないだろうから、昆虫がまだ生息できる。これも昔の話だが、大阪と奈良県の県境に生駒山がある。この山にどういう訳が大規模な防虫剤の散布があり、散布の後莫大な数の昆虫の死骸が転がっていた。

我が家に一本のイチイの木がある。その木が去年の秋ごろから枯れ始めあっという間に枯れきってしまった。防虫材をやっていなかったので、カミキリが木の中に入り込んだのが、原因だと考えられるが、カミキリの巣になったそのイチイの木を切り倒す気にはならない。

前の空き地に家が建つことになった。以前は空き家だったのが、持ち主の死亡で売りに出されたようだ。そこには数多くの土筆が生えていて、春には多くの幼稚園児が土筆を摘みに来た。今年はもう土筆はない。

世の中が便利になるに従って、環境は人間だけのものになってゆく。地球には多くの人間以外の生物が生息しているのに、それでいいのだろうか。便利にならない時の方が人にも優しく、考えることにより色々な楽しみ方があったように思える。

そんなことは全てに人の意識にはあるが、いざ自分自身にその便利さの影響が及んで来ると、他の生物のことを考えなくなる。私も例外ではない。

酒巻 修平

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