馬鹿な私 - 洋酒喫茶

若かったころの話をしよう。ある日私は友達の明ちゃんと洋酒喫茶に行った。洋酒喫茶とは古い呼び名で、今のショットバーだ、

 そんな商売はまだ未発達で、作ることができるカクテルの種類は16しかなかった。明ちゃんは酒は飲めるがそんなに強くない。だから明ちゃんは私に付き合ってくれたのだ。

 相変わらず馬鹿な話をしながら、カクテルを何杯か飲むと酔ってきた。その洋酒喫茶にはママさんがいて、美人だが、ご主人も出入りする。ちょっと興ざめだが、仕方がない。ご主人の方が先約だからママさんをデートに誘う訳にはいかなかったが、男は集まっていた。

 前にも書いたが酒巻一家は酒豪の家系だ。祖父も、母も結局酒で命を落としたようなものだから、私は彼らのような馬鹿飲みしない。しかしスイッチが入るとその誓いも怪しくなる。

 3杯くらい飲んだころ、そのスイッチが入ってしまった。もう止まらないし、給料を貰ったばかりで、懐も温かい。店にあるカクテルを全種飲もうと馬鹿な決断を下した。私はその点馬鹿を自任している。

 6杯、7杯、日本酒はあまり強くないが、いわゆる蒸留酒には私は滅法強いのだ。12杯、13杯と飲み進んだ。そしてとうとう16種類全部飲み終えた時は店もかんばんになっていた。

 もう明ちゃんがどうなったかも分からない。誰が支払ったかも覚えていない。兎も角、眠い。家に帰ってバタンキューと寝てしまった。

 目覚ましも掛けずに寝たがサラリーマンの習性で、7時半ころにはちゃんと起きた。会社まで1時間。朝食もそこそこに家を出て、駅に向かう。

 乗った電車は急行で、吊皮にぶら下がっていると、また酔いが回ってきた。昨夜の未消化の酒が回ってきたのだろう。真正二日酔いと言うやつだ。気持ちが悪いのではなく、ただ酔っているのだ。私は世間の人が嫌がる二日酔いというか悪酔いをしたことがない。

 気持ちが良い。電車の窓から入ってくる眩しい日差しに照らされて、身体は揺れている。酔いがだんだん回ってきた。会社に着いたころには完全な酔っ払いに仕上がっていた。

 同僚は顔を顰めるし、部長はこの馬鹿者という顔で私を非難する。しかし仕事は間違わずにやった。ただ酔って気持ちが良いし、大らかになっている。怖い者なしの状態で仕事を続けた。

 そこへ社長が現れた。私は何だ社長か、だから何なんだ。そんな気持ちで社長を眺めた。実はこの社長は二代目の馬鹿男で、仕事振りは出鱈目だ。そんな社長も私を見て呆れている。

 社長は部長の席の横に立ち何やら話をしている。聞くと例の件だ。私がこうしたらどうかとアドバイスをしたのに、また拙い手を打とうとしている。そんな決断をされたら、会社に損害が掛かる。

 会社は社長のものだが、社員の物でもある。この社長はそんなことは考えない。部長は今日はどこへ行って飲もうかと早くも考えている雰囲気がする。

 気が大きくなっていた私は到頭彼らに向かって、「あなた方、頭が悪すぎやしないか。物事をよく考えて見なさいよ。そんな拙い手をよく考えたものだ」と言ってしまった。同僚はひやひやしていた。

 私が東京に転勤したのはそれから一か月ほどだ。東京には支店がない。その支店がない東京への転勤を命じられたのは私に辞めろということだと、察知した。しかし私は止めなかった。

 そのころ母のお姉さんの伯母さん(私を猫可愛がりをした)の面倒を私が見ていたが、その伯母も大阪に残し単身赴任をした。勿論転勤費用はもらえない。家賃の補助もない。しかし私は東京勤務を続けた。

 そんなことを一年ほどやっていたが、ある日馬鹿らしくなって、転職を考えて実行に移した。28歳の時だ。転職先など当時はどこでもあった。新しい会社でも3,4年勤めたが、社長という職業の人の手助けはもうしないと心に決めて独立した。

 会社は上手くいった。私は最初の会社の社長に感謝しているし、2番目の会社の社長とも今は友人だ。今でもあの洋酒喫茶とママさんを覚えている。馬鹿な私は今も健康で、明ちゃんは50歳の時、癌になってあっけなく死んでしまった。人間何があるか分からない。

酒巻 修平

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