貨幣経済の終了

貨幣とはなんだろうか。物々交換では現実の物が存在し、それを持つ両者が会って交換をする。一方貨幣経済では前に手に入れておいた貨幣を持ち、物を持つ人と会って貨幣と物を交換することもできるシステムだ。

 勿論種々の変形パターンが貨幣経済では考えられて、発達してきた。そこでは貨幣の価値は固定的で、物の価値が変動する。しかしこの制度をアメリカの大統領のニクソンが壊す引き金を引いた。

 勿論ニクソンは自分の理論を達成するために壊したのではない。社会の状況に対応するためにしたのだ。貨幣を金と交換ができる範囲で発行すると経済の拡大が図れない。ニクソンの処置は経済の拡大を意図して行われた。

 それだけでは貨幣経済は崩壊しない。金との交換を停止しても、貨幣の価値が一定であれば、貨幣の存在意義は保つことができる。根本は貨幣で貨幣を買う、あるいは貨幣と貨幣の交換を許したことだ。

貨幣は物々交換の煩わしさを解消するためのものだった。そこにおいては生産される物の量や数が大きくならなければ、貨幣の流通量は増加しない。しかし貨幣で貨幣を買うことができるようになれば貨幣の需要は無制限に増える。

 そして買われる貨幣はもはや貨幣ではなく、物である。しかしその反面買われた貨幣も貨幣として実際の物を買うことができる。それは純粋な貨幣としての役を果たす。

 こんな矛盾というか複雑というか、歪な貨幣の存在に異議を申し立てる人はいたが、それは無視された。なぜなら貨幣と貨幣の交換による利益は大きいので、政府もこの経済制度を許諾した。

金と交換できる紙幣は兌換紙幣と言われるが、その兌換制度がなくなればドル紙幣はただの紙屑になる可能性もある。アメリカ政府はそのドルの信認性を保つために保証をしている。

 そういう意味では今の経済制度は信用経済と言えるかも知れない。貨幣が物という側面と貨幣という両面があり、従って貨幣の価値が変動するようになったところに問題がある。そこに目を付けたのがハゲタカのような業者だ。

 日本円で米ドルを買い、米ドルでユーロを買って利益を上げた者はその金を物を買うためには使わない。また貨幣を買うために取っておくのだ。だからこの貨幣は社会を潤すことには使われない。

この制度は新しい。新しい制度を目端の利く人間が研究して、こじつけ理論でいくらでも金を稼ぐ。そのようにして金を稼いでいる者が金を独占するようになった。そしてその金は物や事とリンクしていない。

 貧富の差をそのようにしてでき、これからもその傾向は一段と助長されるだろう。富の差は広がり、貧困層が増える。アメリカはこのことを知っているが、自国の経済がこの商売に依存しているので、止めない。

 日本でも江戸時代には札差という者たちが富を独占した。徳川幕府は米経済を基本にしていたから、幕府の下で経済を営む藩は幕府同様、貧困に喘いでいた。今の日本政府と同様だが、貨幣制度の崩壊により、貧困な政府は国債を発行して、貧困ではない状態を保つことができる。

 そんな経済を歪める制度の利用を安倍政権は奨励している。私は安倍首相を良い政治家だと考えているが、彼も間違う。社会の貧富の差を広げるような政策のデメリットを考えなければならない。

 彼の考えている社会は経済の発展によってのみ達成できる社会である。しかしそのような信用経済が無限に発展して行く恐ろしさを彼は認識しているのだろうか。あるいは認識しているとしても無視するのであろうか。

そのような歪な経済を改善しようとしても、一国だけでは達成できないし、急激な改善は経済を縮小させる。各国はそんなことをしたくないので、状況は助長されこそすれ、抑止するような方向には進まないだろう。

 イスラム国は夜に悪をもたらす。確かにテロリズムはそんな存在だが、撲滅しても新たなテロリズムが発生するだろう。そのテロリストはまた団体を組み、テロ集団となる。

 テロリスズムは貧富の差によって生じたものだから、それを解消しない限り、永遠になくならない。本当に人類の明るい未来を志向するなら、今からその状態を根本から修正しなければならない。それには貨幣経済に変わるもっと良い経済の創設が必要だろうし、貨幣で貨幣を稼いだ者に課す税を大幅に増率させるかとか何らかの処置が必要だ。しかしこれには各国の協力が必要となる。

酒巻 修平

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