大相撲 稀勢の里怪我

春場所を盛り上げた稀勢の里が、前日の日馬富士との一戦で負傷した。それも稀勢の里の利き腕の肩を痛めたようだ。

 これで優勝争いは面白くなくなったし、昨日の取り組みも今日の千秋楽の相撲も見る気がしなくなった。勿論何が起こるか分からないが、大体優勝の行方ははっきりしてしまった。

こんな激しいスポーツには怪我は付き物だろうが、稀勢の里は今まで怪我がなく、頑強な力士だった。休場も一日しかない。その稀勢の里が本来は休場しなければならないような怪我をした。

 土俵の下に落ちる時、左肩を強打したらしい。日馬富士も必死だから稀勢の里を庇いながらの寄りはできない。どちらの所為でもない。

 稀勢の里は優勝もしたいだろうが、休場して客に失望させたくないという思いもあるように思える。これで稀勢の里も怪我を抱えると取り組みの面白さは半減する。

 白鵬は下り坂に差し掛かったようだが、照ノ富士の足も治ってきた。これは面白くなってきたと思ったのに、今度は稀勢の里の負傷、日馬富士も怪我が完治せず、本来の相撲が取れていない。鶴竜も同様だ。豪栄道、琴奨菊、長く相撲を取っている力士にはどこか故障がある。

 幕内で怪我がない力士は数人しかない有様だ。これは何とかしなければならない。我々が子供のころも勿論怪我に泣かされて力士もいたが、今ほどではない。

熱戦が多かった。

 食事の内容が変わったのか、力士そのものが軟弱になったのか、理由は様々だろうが、最近は水入りの大相撲を見たことがない。怪我があればその箇所を庇いながら相撲を取るので、手に汗を握るような熱戦など最近は見ない。

 これを相撲協会の幹部はどう見ているのだろうか。あるいは横綱審議会の委員たちは何を考えているのだろうか。怪我は力士の勲章とでも思いこの状態を放置しているのかも知れない。

 そんなことが許されていい訳がない。力士はグラデュエーターではないのだ。怪我をする力士が大勢いるならその原因と防止策を考えるのも彼らの仕事ではないのか。

 しかし相撲興行の成績は最近極めて良い。ただ興行成績を考えるのは単なる守銭奴ではないか。もし食事の内容が悪ければ親方に改善を促す、土俵にクッション材を敷く、土俵の形状を怪我がないようにする、それでも力士が怪我をしたら、適宜な休みの制度を考える。

 怪我に対する対策も少し前は考えていたようだ。それが一時、相撲人気が陰ったときになくなったように思われる。力士も生の人間だ。強そうに見えても、取り組む相手も強いから怪我もあるのは頷ける。それを興行に関係する幹部が放置してはいけない。

 戦前までは怪物のような力士がいた。相当な小兵であっても、大型力士を手玉に取り、非常に高い成績を残した力士もいた。それがもういなくなった。大鵬も白鵬も大型力士だからあんな成績を残せたとも思える。

 どうしてそんな状況になったのか。栃木山のような力士はもう出てこないのか。それとも人間の力量が種として低下したのか。何とも言い難いが、水入りの大相撲を見たい。

相撲の親方たちは怪我をする力士が少なくなるように、土俵を改善するなり、食事の内容を研究するなり、現役の時いい成績を収めても、それが良い親方なるとは限らない。相撲の技量は指導できても、経営者としての力量はあるのだろうか。

どのスポーツでも幹部は権利や権限の上に胡坐をかいて、利益をむさぼっているケースが報道される。報道されるのであれば、その報道されたことは氷山の一角でしかない筈だ。

幹部、指導者は技量とともに人格が求められる。スポーツマンはスポーツにおいていい成績を収めることだけを目的としているので、そのスポーツマンが引退して指導者になって技量を指導できても団体を運営する力量や人格があるとは必ずしも言い難い。

 

 スポーツマンは性格上黙々と練習に励み、幹部が決めたことを忠実に守る。それをいいことに幹部はやりたい放題をやっていないのか。やらなければならないことも分かっていないのではないだろうか。

 スポーツマン出身の幹部は勿論必要だが、各スポーツの興隆に必要な人間を外部から入れて、意見は同率で採用するようにすればどうか。技量についてはそんな人は意見を言えないだろうが、運営などに関しては役に立つ筈だ。

酒巻 修平

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