酒巻修平の半生記 4 ー 高等学校病気の悪化

高校の入学試験はどこでやって、どんな問題が出されたか全く思い出せない。いつの間にか生野高校という2流の高校へ進学していた。

 校舎は中学校と同じようで暗くじめじめしていた。第一印象は暗いなあだった。ただ昼休みになると校庭でフォークダンスの音楽が聞こえて来て、上級生の男女生徒が楽しんでいた。

 これは大変なことだ。当時まだ男女共学が始まったばかりのころで、女子の手を握るなんて空恐ろしくてできることではなかった。そんな時代だ。

 しかし興味はある。私も意を決して参加した。「オクラホマミキサー」とか「藁の中の七面鳥」とか何とかいうロシア民謡に合わせてダンスをする。最初は胸どきどきだったが、すぐに慣れてしまった。

 慣れると女子の手を握って昼休みを過ごすのも楽しくない。私は喘息という病気の所為で体は痩せ細っていたので、女子に好まれることはなかったからだ。

 そんな私をからかう積りか級長をやらされた。何のことはない先生の手伝いをするだけだが、これには困った。私は生来の忘れ物癖で、預かった出席簿を何度もなくした。

 担任の先生がそれをチェックする。今日は大丈夫かと問う先生に大丈夫ですと答えるが、本当はその出席簿がどこへ忘れたか、思い出せない。先生は意地悪くこれは何だと言って、出席簿を手にかざす。

 だから二学期からは級長を下ろされた。それで気が軽くはなったが、忘れ物の癖は今以って治っていない。私の劣等感の第一だ。会社を始めてからも大切な契約書を何度失くしたか勘定できないほどだ。

 私は中学校の時に英語の先生から褒められたことがあって、それで英語だけはできた。だから2年生になってクラス別けの時に文系を希望した。当時は今ほど受験勉強が厳しくなかったように思う。

 しかし私の出来は良くない。2組あるうちの下等な方のクラスに入れられた。私は学校の勉強は嫌いだった。しかし中学校から続いていた昆虫採集は断続的だが止めずにいた。

 日曜日には山へ昆虫採集に出かける。だから日曜日は楽しいが、月曜日は憂鬱だ。次の日曜日の採集地案を考えて教科書の横に書いては授業中を過ごした。

 それでも大学には行きたかった。だから少しは勉強するのだが、3か月くらいしかもたない。少しは勉強も進むが、後戻りしてしまう。授業は聞きたくないので、模擬試験の本を買ってきてはパズル感覚で問題を解いていた。

 それが功を奏したのか、点数は少しずつ良くなってきたので、大学進学レベルになった。しかし家には私を大学にやる経済力がない。仕方なく奨学金を申請するとびりで受かった。

 母は麻雀に入り浸りだ。負けてばっかりいる。そんなお金があるなら、大学に行かせてくれればいいのにと考え、一年発起。麻雀屋に出向き、麻雀を打っている母に「大学に行かせてくれ」と頼む。

 母が相手にしているのは今考えると碌でもない男たちだが、私が真剣に頼むものだから「おい、行かせてやれよ。可哀そうじゃないか」などと私を応援してくれた。

 母は「煩いわね。あんたの知ってことではないだろう」などと迫力すごく、男を睨み付ける。そうするとその男はちじみあがって黙ってしまう。

 兄は中学校を卒票してもう働きに行っている。でも夜間高校には通っていた。高校を卒業するとき成績がいいものだから、大阪知事賞をもらった。でも私にはそんな賞をもらうような勉強は嫌いだ。体が弱いから大学に行かないと就職もできないと必死だった。

 高校は喘息の所為で30日以上も休む。だから勉強を進まないし、やる気も失せる。しかし大学へいかなければ生きていけないと思った。でも母は行って良いとは言わない。

 しかたなく強硬手段に出ることにした。母に黙って受験をした。伯母が少し助けてくれたように思う。私は大阪外国語大学(今は吸収合併されて大阪大学になっている)と神戸商科大学を受験した。先に神戸の方の試験があったので、合格発表もそちらが先だ。

 そちらは合格したが、行く気もないし、遠すぎる。入学金も払わなかった。大阪の方は合格するかどうか分からなかったので、合格発表など見に行かなかったが、ある日分厚い合格通知の郵便が届いた。

 それでそこだけは入学金を払うことにしたら、また邪魔者がいた。兄だ。兄はもう働いていたので、金にはさほど困っていなかったようなのに、私が何とか用意した入学金で蓄音機を買えと言う。

 何でも聞いたロシア民謡がすごいらしい。私もその気になって蓄音機と、レコードを買った。そのレコードは今でも持っているが、ロシアの歌手の声はこの世のものとも思われないような素晴らしいものだった。兄が仕事から帰ってきて一緒に聞いた。

 さて入学金はない。兄に出してくれないかと頼んだが、あまりいい返事をくれない。考えた挙句何か仕事をした。どんな仕事をしたか苦労はどうしても忘れてしまう。いい思い出は残っているのだが、苦労は駄目だ。どこかに消えて記憶には残らなかった。

 ところで2年生の時、美智子さんが皇太子と結婚した。同級生の男子は大騒ぎをしている。あんな美貌な人はトイレには絶対に行かないとか、馬鹿な美化をした。

 私は喘息が酷くて発作が出ると横になっては寝ることができない。俯いて枕におでこを乗せて寝る癖が付いた。だから今でも猫背だ。それを校医が咎めた。しかしそれは私の姿勢が悪い所為ではない。咎められても私には矯正する手段はなかった。それから医者は信用しなくなった。原因を考えずに結果ばかり云々する。

酒巻 修平

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