病気、症状、薬、慢性病

 ヒトの体は極めて複雑な作用を各所で行い、全体としてバランスを取るようになっている。どんな動物、植物も同様である。

 ヒトは他の生物より高度な進化を遂げたので、各部分も進化し、複雑化すると同時に高度な動きをすることができるようになった。

 その犠牲も払った。犬や猫、野生動物のように早く走ることはできない。脳が発達することでそんな必要はなくなったからだ。その代わり長距離を歩くあるいは走ることに付いては動物界最高に近い能力を身に付けた。

 こうして会得したヒトの体は考えられないほど多種多様の能力、機能を獲得したが、獲得するだけでは体は維持できない。

 体は全体としてバランスを取らなければ正常に機能しない。健康とはそのバランスが取れている状態である。

 そう考えれば病気というものの本質が見えてくるように思われる。それは体のバランスが崩れた状態を指す。

 そのバランスの崩れが体全体に及ぶこともあるし、また一部分で収まっていることも多い。

 病気の結果が体に及ぶとそれは症状と呼ばれ、ヒトは自分が病気に罹っていると気づく。症状が感知できないほど軽微であったり、もともと症状が現れにくい時は病気は進行するだろう。

 癌などは症状が初期のころは現れ難い病気である。こんな場合、ヒトの体はその病気を意識しない間に治癒することもあるし、進行することもある。

 病気は原因であり、症状はその作用の結果である。風邪をひくと体がだるくなり、寝ていたいと思う。これは体の重要な作用で、病気を退治するために血液の多くが軍隊として敵である病気に向かう。

 だから体の他の部分には血液の供給が少なくなり、立っているのが億劫になって眠くなるのだ。

 病気が重いと体の治癒機能が負けることがある。この時治癒機能を助けるのが薬だ。本来なら体が病気を退治するための化学物質を大量に出さなければならないのに量が足りない場合などで、薬は大きな味方だ。

 だがこの時体の治癒機能は味方の応援もあって最大限の努力を怠る。体は状況や状態に対応して変化する機能が備わっているので、病気が治ればできるだけ速やかに薬の使用を止めるべきだ。

 そうでないと薬が体内にある状態に体は合わせて機能の能力を調整する。すなわちさぼるという現象が起こる。そうなると薬を飲み続けなければ体のバランスは保てない。

 薬は人工物で長期に亘って服用すると肝臓などに過度の負担を掛ける。臓器はそれに応えるが能力の大きさが決まっているので、他の仕事をする割合が減少することも考えられる。

 頻尿は病気ではない。これは老化に伴った現象だ。膀胱には主として二つの役目がある。一つは尿の中の水分を再吸収して尿の量を減らすことで、もう一つはその尿を一時保管することだ。

 その機能が低下すると水分の再吸収や膨張する割合が少なくなって頻尿になる。これはその時のヒトの正常な状態だ。

 だが頻尿を防止する薬を服用すると膀胱の機能はますます低下し(すなわちさぼり)頻尿の度合いが増す。

 だからこのような自然な成り行きを憂いて薬を服用するのは辞めた方が良いだろう。頻尿の度合いを下げるには尿の排出をできるだけ伸ばし、膀胱に運動させることだ。若い人ほど膀胱は機能しないが、それでも頻尿の度合いは少なくなるだろう。

 ヒトの体や機能は解明されればされるほど、いかに精緻で複雑かが分かってくる。それらを全て解明することが今後できるのかどうかは疑問であるが、医事行為はそんなヒトの機能を全て分かった上でなされているわけではない。

 いわば手探りの状態で医師は診断を下し、薬を処方する。現在医学以外の治療方法はここでは全て否定あるいは無視されている。

 薬だけに頼る治療は厳に慎むべきだが、医薬品の開発が進むにつれて医師は薬にますます頼るようになる。薬は病気の治療にはなくてはならないものだが、適切な度合い、期間などを考えながら使用すべきだ。

酒巻 修平

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