結婚相手の選び方

人が父母の二人の遺伝子を持ち、身体の制御も電気信号で二元的に行われているとすれば、個人及び社会の現象は全て二元的であると言える。

 現に人には長所と短所があり、その性は善であると同時に悪である。いずれの面も持ち合わせ、どちらが本来の自分であるかという問に答えることはできない。

 自分の胸に手を当てて考えると分かる。どんな人でも悪の部分はあるもので、そうであってこそ人間なのだ。悪の部分を表に出さない努力をしても長年の間には悪の部分が出現してくるのは止むを得ない。

 そうであれば、人の欠点は欠点と認め、その欠点と折り合いを付けて長い生活を生きていけるかどうかが相手と結婚しても良いかどうかを判断するポイントになるだろう。

 天真爛漫に見えても、それは他人のことを考えない行動かも知れないし、寡黙な男は単に無口だけなのかも知れない。結婚生活は一人で生きていけない人という動物には必要なものだ。勿論例外の人もいるだろうが、そんな人でも相性が良い人と会うと結婚を考えることがあるだろう。

 人の欠点を考えながら付き合うのは楽しくはない。しかし結婚を考える人が出現すれば、欠点を知る必要がでてくる。結婚生活は30年、50年、70年と続くものだ。必ず相手の欠点と向き合って共同生活をしなければならない。

 結婚しようとする相手の短所を見つける努力をし、その短所が何とか自分が受け入れられるようなら、結婚してもいいだろう。ゆめゆめ、美しいだけの人、金があるだけの人と結婚してはならない。美は長年の間に消滅し、金もいつまであるか分からない。

 勿論酷い容貌をしている女性との結婚は願い下げだと言う人もいるだろう。金がなければ何もできない。しかしそれも程度問題だ。収入が全くなければ生活はなりたたないし、もう見るのも嫌だと言うほど容貌が好みでない相手もいるだろう。

 現在は義務を果たす努力より、権利を主張すること優先する。何故こんな社会が現出したのか、日本は豊かになり過ぎた。権利を主張するばかりでは、すぐに離婚ということになる。我慢するのは楽しい結婚生活をするための義務だ。権利を主張する前に義務を果たしたい。

 人には心身という二面がある。言い換えれば無形の考えかたと有形の物質である。結婚するときそのどちらを優先的に考えればいいのか。勿論精神だ。体は脳からの指令で動いているし、行動は精神の具現化だ。だから結婚相手の欠点を考えるとき、相手の精神の在り方を重視しなければならない。

最近は離婚率が高い。これは相手の欠点を知らずに結婚したか、我慢ができない人同士が結ばれたか。どちらにしても両人とも甘いのだ。相手の良いところばかり見て、欠点があることを無視したのだろう。

結婚すればもう離婚はできないと考えるのがいい。それが楽しい結婚生活を送る方法だ。またやり直したらいいと考えて結婚をする人はいないだろうが、相手の欠点を許せるかどうかを考慮しただろうか。

 本当に人もうらやむ夫婦がいる。その人たちは相手をどのように決めたのか。それとも両人に欠点らしい欠点がなかったのだろうか。欠点までも可愛かったのか。どのカップルにもそうなってもらいたい。

子供も生まれる。その子供には親が必要だ。親が不在であれば子供の生活は荒んだものになるだろう。できるだけ離婚を避けるため、相手の欠点を見極め、それでも許せる人と結婚すべきだ。

 長所が大きければ短所も奥深い。それは人という存在には付き物なのだ。長所だけを見つめ、短所については忘れる。そんなことができれば短所を見つける必要はない。

 しかしどうもそうではない。自分の短所が認められないのは寂しいものだ。双方の欠点を上手くコントロールできる夫婦が幸せを掴むように思われる。

酒巻 修平

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