規範(ルール)について

規範とは行動や判断の基準となる模範で、ルールとは少し違うが、題名ではこの規範をルールとして置いた。ルールは規範より幅広い意味を持つが、基本的な考えは似通っている。

 規範は人が社会生活を営む上でのことであるので、スポーツのルールなどはこの範疇に入らない。

 規範で最もよく使われるものの中に法律があるが、これこそ正に人が社会で要請、制御されるルールである。

 法律は最も低い規範で、これを破ると刑法、民法上の処断の対象になる。しかし法律以外にも規範がある。

 法律の上に道徳、倫理などがあり、更に最上級の規範は宗教上のものだ。ここではある邪悪なことや神に対する反逆的なことを考えるだけでも規範に悖る行為とされる。

 下級の二つの規範は行動を起こさない限り、違反とはならないが、宗教上の規範は考えるだけで、違反となる。

 電車の中で老人に席を譲らなくても法律違反にはならないが、道徳上、倫理的な観点から判断するとこれは規範に反する行為である。

 会社にあっては、法律違反はもとよりこの道徳の違反も評価の対象になり、昇給、昇格の妨げになる。

 分かり易く、-恐縮ではあるが-、殺人を例に取って分析してみよう。法律では殺人を実行すると法律違反で処罰の対象になるが、中位の道徳規範では殺人の意思を持って凶器を準備し、被害の対象になった人をつけ狙うことも違反になる。さらに宗教的規範では殺人を考えただけで、違反だ。

 このように規範には各種あるが、社会で今話題になっているのが、法律違反で、宗教上の規範破りは話題にも上らない。

 かつて、30年、50年前は道徳規範が考えのもとになっていた。当時は犯罪も今と比較すると極めて少なく、人の言動の良し悪しが話題の主なものだった。

 時代が進み、今やこの道徳規範を守る人さえ少なく、人に親切にする、弱いものを助けるなどは政府の役目になっていると言っても過言ではない時代が到来した。

 規範の一番下位にある法律が社会生活を考える上で、唯一になったということは人の価値が下がったということにならないだろうか。原因は一つではないとは思うものの子供にこの道徳を教える制度がなくなったことも大きい。

 子供には邪悪な精神はまだ育っていなくて、どの子を見ても純真だ。そんな子供は親を見、学校で教えられて、それを自分の身に付けてゆく。

 親そのものに道徳観念がなく、学校では上級学校への入学試験合格の手段を教えるだけだ。道徳の授業を再開しようと考える向きもあるが、仮にその授業が再開されても先生や親に道徳心がなければ、授業は形骸化する。

 表面上若い人は礼儀正しく、言葉も丁寧だが、一旦裏に回るとこの道徳心が消滅する。老人に親切にしている若人は絶滅危惧種である。

 もっと下の規範である法律も守る観念が少なくなってきている感じがする。現に殺人事件は毎日のように発生してテレビに格好のねたを与えている。

 あまり悪いことばかりを述べると嫌がられるとは思うが、50年前と比べて社会が悪化していることは事実だから、今から50年後を考えると寒気がする。

 今若くても50年後には老人になる人はそのとき何をみるのだろうか。一日に100件もの殺人事件が発生するようになっているかも知れない。見つからなければ罪に問われることもない。

 ここでは「見つからない殺人」という教則本が発行されている可能性も笑えないだろう。あるいは「老人の騙し方」「通勤帰りの女性を襲う方法」などが発刊されて外出する人がいなくなり、サラリーマンは家で仕事をする。

 その被害者は今の若人だ。社会で使われる規範の変更をするのは今のうちではないか。

酒巻 修平

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