極めて長寿なOld Parrや李斉曇さん

 Old Parr と称せられるThomas Parr氏はイギリスの人で、152歳までの長寿を誇った。有名になるにつれてイギリスのチャールズ一世と拝謁し、その後生活の変化から152歳で亡くなったが、もしそんなことがなければもっと長生きしただろうと言われている。

一方李斉曇は256歳まで生きたとされ、残っている画像で200歳を超えたものはその年を彷彿させる極めて老いた容貌を示している。

その他日本の儀衛門さんの208歳、ナイジェリアのジェームズ・オロフィンツィさん171歳(生存中)、女性ではインドネシアのソディメジョさん146歳、

カザフスタンのサハン・ドソファさん130歳などが上げられる。

 ギネスブックによるとそれらの記録には疑義があり、認められないとしているがギネスブックが歴史上世界最高齢としているフランスのジャンヌ・カルマンさんの123歳にもなりすまし疑惑があり、ギネスブックは自己が認めた最高齢を上げているに過ぎない。

 眺めてみると極めて高齢まで生存して人は男性が多い。平均年齢は女性の方が高いのに何か理由があるだろう。

 生物とは自己複製する系である。自己複製とは自分の子孫を増やすことで、子孫を残す垂直的なことと自分自身の体内の細胞を複製する水平的なものがある。

 生物は自己を複製するために細胞を複製し、生を保っている。すなわち子孫を残すことが生物に課せられた使命で、全ての生物はそのために存在しているのだ。

 だから子孫を残す行為ができなくなった生物には存在意義がないとも言えよう。寿命はそれと密接に繋がっているという理論が存在するのは無理のないことだ。

 女性は閉経すると子孫を残せなくなる。だからその年齢からは惰性で生を保っているに過ぎない。その惰性が終了するのに倍の時間が掛かるとして大体110歳くらいが寿命の尽きる時だ。だが多少の誤差があり、130歳まで長寿を保てる人が出て来る。

男性はどうか。男性は相当長くまで子孫を残す精子を輩出することができる。だが女性と違ってその期間の倍は生きられない。ここにも女性の方が男性より長生きであるとの事実が浮かび上がる。

 寿命が何故尽きるか、どのような機序から起こるのかはまだ解明されていない。しかし事実からそれが男女とも115から120歳ころとされている。

 超長命の人には男性が多い。その人たちの行動を観察すると以外な事実が浮び上がる。李斉曇さんは生涯に23回結婚をして200人以上の子供をもうけたし、Thomas・Parrは100歳を超えて女性を暴行し、こちらも122歳の時に再婚している。

 その事実からは人を含む生物の寿命は子孫を設けることと深い繋がりがあるのは否定できないように思われる。

 因みに人の死とはどのような現象であろうか。心臓の停止か呼吸の終了か。でも心肺停止の人が人工心肺で息を吹き返すことも多く、それらの器官の停止を以て死とはできない。

 イギリスでは死んで埋葬された人が生き返りその後36年もの間生存したとの記録があり、イギリスでは一定期間死んだと思われる人を死んだものとして処理するのを禁止する法律がある。(埋葬や荼毘の禁止)

 前述のように生物は子孫を残すために生きている。生きるためには自己内でやはり自己複製という新陳代謝を行っているのだ。

 だとすれば新陳代謝の終了を以て死とするのが良いように思われるが、現在は医師の死亡診断によって死が決定される。何とも危険な匂いがするが、これが日本における法律の定めだ。

 人体に付いて夢は何故見るのか、病気はどのように発現するのか、今なお未解明のことが多く、生や死あるいは生命の発生などはこれからどのように解き明かされていくのか興味深い。

 法律は専門家でない人が作成することも多く、医師の死亡診断を以て死と決定するのには大きな疑問がある。

 一つ言えることは健康と長寿は直接的な関係がなく、人の二つの機能であることだ。だが健康でなければ長寿を全うできないのもまた事実である。

 携帯電話を何度も落とすと機能が損なわれることが多い。そうなると持ち主は買い替えを行うだろう。だがこれは持ち主の意思であって、その機能不全の携帯電話機もまだまだ使えることもあるだろう。

 機能の多くが病的であっても、主たる機能が使用に耐えるならどんなものでも死、すなわち、廃棄には至らない。機能が全てなくなればそれが本当の死である。

酒巻 修平

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