声楽練習日誌 1

私の母は長唄では日本一の歌手だったと思う。当時NHKには専属という制度があったようで、母はその専属であった。時々ラジオから流れてくる母の声と曲想は素晴らしく、いつもシテを歌っていたのを今でも記憶している。

 父は母の弟子でいつの間にか一緒になり、兄を初め私と弟の3人の男子を生んだ。3人の中で、兄は音程やリズム感の良さを受け継ぎ、私は良い声をもらったと思っている。弟は駄目だったが、いつの間にか詩吟の先生をやっているらしい。

 しかしどういう訳か私はリズム感が非常に悪く、音程も上手く取れない。その才能は私には全くなかった。どこかで母の職業をあまり好んでいなかったからかも知れない。

 私たちが子供のころ家には大会社の偉い人が邦楽を習いに来ていて、私たち子供は練習をいつも聞いていた。後から聞いた話だが、お弟子さんのあまりの下手さ加減に子供は遠慮なく笑ったと言う。

 それでもその人たちは「これはまたお子さんに笑われましたな」と言って、頭を撫でてくれたりしていたので、聞くのは退屈だったが、おじさんは好きだった。

 中学に入ると音楽が必須科目になって、男の先生が教えた。私は音程やリズムが全く分からなかったので、いつも成績はとても悪かった。

だから私は音楽好んで聞くことも、学校の勉強の中で好きだったという記憶がない。ただ高等学校に入ったときは選択科目として音楽を取った。

 初めて授業に出ると先生はどこかの音楽大学を出たばかりの人のようで、可愛くて、とても若い先生だった。しかし音楽を専攻する生徒はたったの6人だった。だから先生もゆったりと教えて下さった。

 私たちはその先生の顔を見ながらうっとりとして勉強をしたものだった。ある時先生が「Love’s Old Sweet Song」というイギリスの古い歌を歌われた。それは過ぎ去った昔を懐かしんで歌う内容で甘いメロディーと歌詞が付いていた。

 先生は美しい声と可愛い顔で歌われ、私たち6人の男子生徒(生徒は全て男子だった)は夢の中へ誘い込まれた。お会いする機会があればその当時の思い出話しなどしたいものだと思う。

 

さて大学に入ると門の前で部活の勧誘が待っている。合唱団が特にうるさくて断るのも面倒で、入部申し込みだけはしたが、私は練習などに行く気などさらさらなかった。

 しかし授業が始まると熱心な同級生が練習に行こうと私を盛んに誘う。私はどうも断れない性格をしているのか、仕方なく練習に付き合った。しかし練習の日には毎回級友が誘いにくる。こうして4年間練習に付き合った。

 私は本来テノールの筈なのに、声が立ち過ぎるという理由でバリトンに配属された。合唱をやった人なら分かるだろうが、バリトンは全く面白くない。和音の一つを受け持つだけで、同じ音を長く歌ったりしなければならない。

 先輩が卒業してだんだんと高学年になるに従って、私は高学年という権力を盾にセカンドテノールから4回生のときはファーストテノールを歌った。テノールは主にメロディーを受け持つのでこれはやりがいがあった。

 毎年一回大きなホールで演奏会がある。全て暗記して2時間ほど歌わなければならないが、覚えられない人は誰もいなかった。私も若かったので、暗記に苦労している現在とは大違いだ。

 そのとき私がどんなレベルであるか、示す分かり易い話がある。何年か前、部の同窓会に出席したとき先輩の一人から「お前は下手だったな」と言われたことだ。それくらい私は下手だったのだと感心してしまう。

 私は凝り性なのか、大学を卒業すると正式に声楽を習いにいった。先生は大阪の音楽大学の教授でとても人格者だった。授業料は安く、一生懸命教えて下さった。

 ある生徒の合同練習のとき面白いことが起こった。

続く

酒巻 修平

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