声楽練習日誌 2

同門の生徒の中に中学校の音楽の先生がいた。その人は私を見ると「お前、こんなところで何をしているのだ」と尋ねると、我々の先生が「何言っているの。酒巻くんは上手いんだよ」と言って下さったので、中学校の先生は二度驚かれた。実はテノールではF#から上の音を出すのにあるテクニックが必要で、中学校の先生は出せなかった。私はどういう訳か、上のCを超えてDくらいまで発生練習では出せていた。

ただ習っていた先生はバリトンでテノールの私を教えるのはそんなに容易いことではなかったが、良い声をしていらっしゃった。ところが残念ながら私は東京に転勤になったので、その先生から去らなければならなかった。

東京に来てからは仕事で頭が一杯で、声楽どころではなくなったのでしばらくは練習もしなかったし、勿論習いにも行かなかった。でもそのうち歌を歌わない寂しさが襲って来て、また教えて下さる人を探しだした。

見つけたのは東京声専音楽学校というところだった。そこに練習生として入学したのだが、満足がいかないので、ある先生に個人教授をしてもらうことにした。

その方は東京芸術大学を卒業されて、後に二期会の会員もやられたのだが、初めてお声を聴いたとき唖然としたくらい立派な声をしておられた。

 そのときに同門だった方がたまたま練習で歌を歌っていたが、声があまり良くないと私は感じた。声がクリアーではないし、声帯がきっちりと合っている感じがしない。ところが後年その人は「マダムバタフライコンクール」の日本代表でイタリアに行かれてコンクールに参加された。

 そのころも私は歌から離れていて、先生にも付いていなかったし、その人がどの程度声が良くなったか分からなかった。でもコンサートのチケットをもらって聞くと、見違えるようにいい声で私は感動してしまった。

 それで少ししてからその人の家に押しかけ、生徒にしてくれと頼んだ。大体同門の人に習いに行くなんてことは常識では考えられないのだが、私はそんなことは頓着していなかった。上手い人に習うのに躊躇する方が可笑しいという考え方を話すとその人は「日本一の歌手にしてあげます」と言いながら教えることを受諾した。

その人は実際熱心に教えてくれたが、私はきっちりとした発声はどうあるべきか分からなくて、その人に言うまま声を出していた。目暗滅法ということだ。練習は週に2回くらいやっていた。そんなあるコンサートの一週間ほど前にその人は自分の歌う曲の何曲かを代わりに歌って欲しいと言った。私は何だか変だなと思ったが、事情でもあるのだろうと気軽に引き受けた。

 コンクールの当日私は自分の分とその人の分の何曲かを歌った。その後その人が歌ったのだが、アンコールをどうしても受けない。どうも可笑しいと思っていると、何とステージの上で脳梗塞を起こしてしまった。私たちはその光景を見て大変なことが起こったと救急車を呼んだ。結局手当が早くて一命は取り留めたのだが、その人はそれ以来声楽から遠のいてしまった。そしてそれから10年もしないで、亡くなられた。悲しかった。

 私は仕方なくその人の紹介で違う先生のところへ行って、そこで10年くらい習った。その人は高度なテクニックをお持ちで、前の先生も出たコンクールで世界第2位に輝いた人だった。

その人とは公私ともに一緒に過ごした時期が今では懐かしいが、我儘な私は結局芸術というのは自分で構築しなければならないものだと考えそこを辞めた。

 それから5年にもなるだろうか。その人が主催するコンクールが毎年12月に

サントリーホールで催されるが、それに今でも毎年出演させてもらっている。

 その人に習っているとき、その人は私に練習しすぎては駄目だといつも止められていたが、私はその忠告をいつも無視した。

 その人からはまた私はその人を先生と思っていないとも言われたが、何の意識もなく、ただ一所懸命練習をするのみだった。

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