ピアノコンサート

昨日ピアノコンサートに行ってきた。小学校6年生の孫が出演するので見に行ったのだが、それは勿論コンサートというよりは発表会程度のものだ。観客も弾く子供の親や親戚の人ばっかりだと思う。

 小学校1年生の女の子から始まり、一番年長は中学校2年生だった。小学校1年生というとまだ6歳か7歳。まだ生まれて間もない年だ。それでも結構上手に弾いていてびっくりした。

 お母さんとの連弾もあり、私はそのお母さんの手を見ながらひやひやした。一緒に弾いている子供も同じ気持ちらしくて子供がお母さんの心配をしていて、ときどきお母さんの方を見る。何とも微笑ましい光景であったが、私は人という動物の偉大さを再認識した。

 生まれたたった6年。ハイハイするまでに6か月掛かるのか正確には忘れてしまったが、大体そんなものだろう。歩き始めるのに1年。片言を話すまでに2年程度。友達ができ、幼稚園には3歳か4歳。その子供があんなに上手くピアノを弾いている。

 小学校の高学年になるともうプロのように思えたほど上手だった。舞台の袖から出て来るときは歩き方もぎこちなく、何とも可愛い姿がピアノの前に座ると一遍する。立派な演奏家だった。

 弾き終わるとまた可愛い姿で引き上げて行く。本当に楽しませてくれた。始まってから終わるまで約3時間飽きもしないで見ていたが、その間色々なことを考えた。

 最初に考えたのは既に述べた通りで、人の脳は極めて精巧に作られていることだが、その次に考えたのは日本は平和で幸せな国だということだ。なんだかんだ国際情勢の不安材料や犯罪の増加、経済的な問題。解決しなければならない状況は種々あるが、兎に角日本は平和だ。

 子供たちの家庭はそんなに裕福でもないだろうに、このように子供にピアノを習わせる余裕があるのだ。今世界のたった三分の一の人が充分な食事をできているだけの時代にピアノを習わせることができる余裕がある。世界にこんな国がいくつあるだろうか。

 私が子供のころピアノを習わせることができた家庭はとても裕福な家庭だけだった。それから何10年の経済努力の結果、こんな裕福な国家が出来上がった。原因は日本人の平均的な能力が非常に高く、中でも全人口の90パーセントの一般人の能力が他国と比較できないくらい高いことがこの原因だ。

 官僚も政治家も楽だ。大した仕事をしなくても国民は自由に仕事をして、自由に豊かになってゆく。だから政治家は訓練されないので、こちらは他国より能力が低い。

 人は生まれてからも脳が発達する。そうであれば言葉を話すようになり、他人とコミュニケーションをできるようになったら、何かの訓練をさせればいい。そうすれば訓練していることが後々大きな実を結ぶと思われる。

 幼稚園は兎も角学校に行くともう物を覚えることを教えられる。だから教育を受けた子供は覚えるのが得意だ。しかし考えてみよう。沢山のことを覚えて何になるだろう。今はコンピューターを叩けばどんな情報も出て来る。

 それを自分の脳の中に保存するだけではできることが少ない。既存の文化の継承に役には立つ。また覚えていることは仕事をする速度を早くさせる。しかしこれらには創造性が含まれない。

 もうすぐアフリカにも物資が豊富になるだろう。そうすれば物を売る場所がもうない。買い替え需要だけで経済を回していかなくてはならない時代がそこにきている。

 人が進化し、医学が発達した御陰で人が長寿にもなった。そんな新しく今までなかった時代に適応する社会を作るのは物を覚えている人ではない。ものを考え、創造し、新しい状況を作り上げる人だ。

 しかし今はものを沢山覚えている人たちが国の中枢を担っている。私はこれが怖い。そんなことを考えながらピアノコンサートは終わった。この子たちにはものを創造する人になって欲しい。

酒巻 修平

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