アメリカにある日本村

アメリカに行くと当然英語を使うと思っている人がほとんどだ。しかしこれは事実ではない。例えば銀行のアメリカ駐在員は仕事ではまず日本語で済まし、英語は使わない。彼らはアメリカにある日本村で生活している。

 それはアメリカに営業所や事務所がある日本企業との取引が主体でアメリカの企業とは取引をしないからだ。現在は多少事情が変わったかもしれないが、大同小異であろう。

 そうするとアメリカにあっても日本的な感覚でアメリカ企業やアメリカの文化をみる。これでは日本にいるのと同じだ。ただ自分のいるところがアメリカだというだけである。

 この現象は銀行だけではない。新商品の発掘に行っても日本人同士が集まり、アメリカにいても全く英語を使わない。この人たちは通訳を雇って仕事をする。特に平社員ではなく課長以上の人がアメリカに行くとそんな傾向が強い。

 アメリカを日本文化の感覚でみるのと日本の感覚みるのと違うのか。結局アメリカにいるのだから同じだろうと思う人もいるかも知れないが、これが大いに違うのだ。

 私はアメリカのさる大手のサーフィングッズの輸入総代理店を経営していたが、私はアメリカへ出張に行っても、必ずアメリカ人が利用するホテルに泊まった。だからアメリカにいてアメリカ側からものを見る習慣ができていた。

 このスポーツの世界チャンピオンはアメリカ人だった。だから日本人から見るとその人は神様のような存在で誰もが話もできないような遠い存在だった。しかし私は違った。そのスポンサー企業から物を仕入れていた関係でその会社の社長とは懇意にしていた。

 だからその世界チャンピオンと言えどもその社長や私にはへりくだって話をしたものだ。他社もこのスポンサー企業と取引をしていたので、私と同じ条件だと思うのだが、それが日本的にアメリカ人を見るから上手く行かない。

 今はどんな企業もそうかも知れないが、アメリカではアメリカ人の駐在員を持ち、その人間に仕入れや交渉をさせるケースが多くなった。しかし私が仕入れ担当をしていたころは、アメリカ人を介して仕入れをするなどの考え方は僕なかったようだ。

 当時一般にはアメリカで日本語を使って商品の仕入れをする。それでは交渉は上手く行かない。必ず相手ペースに事が運んで行き、気が付けば相当不利な条件で取引を始めることになる。

 企業の社員がアメリカに駐在することになっても、日本語しか使わないものだから、アメリカ人とは親しくなれない。自分は仕事があるので、こんな状態でも別にいいのだろうが、奥さんは困る。

 周りはアメリカ人ばかりだ。そんな中で会社関係の日本人とばかり話しをしていると近隣との疎外感を生まれる。やがてそれがストレスになり、一刻もアメリカにおれない状態に陥って、夫は仕事どころではなくなる。

 イタリアやフランスでも同じことだ。でもイタリア語やフランス語は英語ほど難しくないから奥さんは勝手に現地語を覚え、結構現地の人と仲良くなるが、アメリカ人は個人主義だから近寄ってこない人は無視する。

 欧米の企業と取引を上手くやるこつは相手と友達になることだ。英語ではfriend、フランス語ではami、イタリア語ではamicoだったと思うが、彼らは気を許すと友達だと言う。

 そうなると仕事も上手く行く。私は娘の結婚式にイタリア人を呼んだのだが、それからは親しさが増し、とうとうその会社の社長は「日本では、お前としか鳥人しない」と本当に他社との取引を中止してしまった。

 ここで大切なのは会社と言わないで、お前としか取引をしないと言うことだ。仕事では担当者個人が大切で会社は二の次だ。だからときどき「お前は中村を知っているか」などと聞かれる。日本には中村姓などは多いので、知っている訳がないのだが、そんな聞かれ方をされ文化の違いの驚かされることがある。

 郷に入っては郷に従えと日本でも言うし、アメリカでは「Do in Rome, as Romans do」と言うではないか。

酒巻 修平

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