新型コロナの流行で社会が変わる

 細菌は時として人類や他の生物にも多大の悪影響を及ぼす。歴史上最悪の細菌による被害は何と言ってもペスト禍であろう。ペストはイギリスに限っては人口の半数を死亡させ、ヨーロッパ全土では1/3の人が亡くなった。

 人口が減少すると当然労働者の数も減少し、生産は停滞してしまう。人口が少なくなった分、物の需要も減少するが、豊富な物資を求める精神は残ったままだった。

 これが生産の機械化を促した。そうして産業、農業革命がイギリスを中心に勃発し、逆に生産がペスト前と比較して大幅に増加してしまった。

 その有り余った物資の市場を開拓するために、新しい天地を求め、大航海時代が到来した。15世紀のことである。コロンブスがニューファウンドランドを1492年に発見し、その後まもなくアメリゴ・ベスプッチが本土を踏んだ。

 中世はこのように終了して近世が始まる。さて今回のコロナの流行は社会をどのように変えるのか。あるいは現状があまり変わらないまま社会は進んでいくのか。

 日本でもトヨタが最初にコロナ後もリモートワークを継続すると発表した。それは当然のことだ。社員が同じ事務所で働く理由は愛社精神を育むことであった。だがその愛社精神は過去のものになりつつある。

 特に若い年齢層に取って仕事は金を稼ぐためだけにあるという精神を持っている人が多く、愛社精神が事業の業績に影響を及ぼしにくくなった。

 コンピューターの普及と使用技術の発達により仕事、特に事務系の職務は事務所にいてやらなくてもどこでもコンピューターさえあればできるようになった。わざわざ満員電車に乗って都心の事務所に行く必然性は色褪せた。

 すると事務所スペースの必要性が減少する。これからは事務所を作る企業が打撃を受けるだろう。受けなくても立派な事務所を持つことが実質的に企業の業績と関係がないと思う風潮が蔓延することは間違いない。

 電鉄会社も営業収入が大幅に減少するだろう。朝のラッシュアワーでは定員の何倍にもなる乗車人数の運賃で稼いでいた電鉄会社は新しい事業に進出しなければ生き残ることさえ危うくなるかも知れない。

 それでなくても事業の拡大がなくなった彼らはどのように企業を運営していくのか。有名大学を卒業した人材を採用してもアイデアの泉とはならない。アイデアは物事の基本、人の欲望の分析をベースに出て来ない。

 大企業の事務所は女性に例えればブランドの服を着るようなもので、センスの良い洋服を着れば誰からも好まれるのと似ている。事務所費用は少なくて良い。

 事務所はこれからも必要だろうが、事務所に対する企業や従業員の意識は変革すると思われる。

 すなわち企業や従業員は実際の価値観がどこにあるかを認識しただろう。効率の良い仕事を目指し、企業や従業員は方向転換をする。それが当たり前の社会になるように思える。

 そうするとバブルという概念も変わるだろう。物価は下がり、良質で安価なものが求められる。今までは経済は小さいか大きいか別としてバブルで潤っていた。そんなバブルは無くなる。これは経済の縮小を意味する。

 昭和は物質を求めた時代だったが、平成に入り、必要物質は存在しなくなり、国内経済は停滞した。それを打破するために企業はますます国外に市場を求めるようになった。

 国内では物より精神を重んじる平成という時代がやってきて、その間実体経済は活況を呈することはなかった。

 それは今度のコロナ禍によって加速度的に進むだろう。企業は物の充足より精神の豊かさを模索しなければならない。

 一番大きい点はコンピューターの使用頻度の増加だろう。コンピューターは人から思考という脳の使用法を止め、記憶というもっと簡単な脳の使い方をさせるようにする。

 これによってますます社会は複雑、細部に亘って規定されるようになるだろう。それは社会の進歩ではなく、退歩である。一握りの人が思考を基にした仕事をして富を寡占する時代がやってきた。人々はルールに縛られ身動きが取れない。

 何の生産性もない投資がもっと盛んになり、貨幣というものの評価も変化するし、より少ない人が富を独占する時代がやってくる。

 それを企業や人は止めることができるだろうか。大企業も社会の秩序ある状態を考えるより自己中心的になり、社会は悪化するだろう。それを止められる人は誰だろうか。

酒巻 修平

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です