給料のもらい方、払い方
今は会社も作業時間を短縮するため、給料やボーナスは銀行振り込みで支払われています。でも我々が若い時は全て手渡しでした。封筒に入れた給料が上司に渡されるか、小さい会社では社長自らからが渡していました。
本来給料は労働に対する対価であるので、こんな徒弟制度の名残りのようなやり方が今行われると反発があるかも知れません。ですが実際そうだったのです。
武士と町人という階級差のようなものは第二次世界大戦ですっかり姿を消してしまいましたが、社長と社員という格差はまだ歴然と残っていました。
社長はお金をくれる人、社員は働かせてもらって給料をもらう存在で、社員はいつの日か社長になりたいという夢を以て仕事をしていたのも事実です。今以上に自分だけの城を築きたい、一国一城の主になりたいと思う心はそんな給料を与える者ともらう者という光景からも助長されました。
私もそんな一人で33歳の時に独立しました。でもいざ一国一城の主になってはみても苦しい毎日の連続で、そんなことなら会社に勤めていれば良かったと後悔したこともありました。
私が独立したころはまだ給料は封筒に入れて手渡ししていました。ですが、1万円、5000円、1000円、500円札、100円、50円、10円、5円、1円硬貨を社
会保険料などの差し引き後の端数のある金額に合わせて社員ごとに用意するのは大変で、そのうち振込制になりました。
ですが、ボーナスだけは会社の社員に対する恩恵的な側面もあり、振り込みはしないで、手渡しにしていました。
人格の良い社長さんは税金を支払うくらいなら社員のボーナスを増額した方がましだとして、一回のボーナスでも封筒に入りきらないくらいで、誰々のボーナスは入った封筒が立ったなどと噂し合っていました。
ボーナスや給料の額は守秘義務があるので、封筒が立つと会社も社員も困ります。だからA5の大きな封筒に入れて額が分からないように工夫したものです。
そんな社長の好意が社員に有難く思われたのか、どこの会社でも社員に愛社精神が多く残っていました。当然会社の業績も上がります。そして社員はますます多くのボーナスをもらいました。
ですが考えてみるとボーナスや給料を振り込みで受け取っても額は変わらないわけですから、社員の愛社精神は変わらずあるはずです。ところが違います。社員は会社の好意に有難いと思う心が失われ、社員と会社には労働と対価という乾いた関係が定着しました。
そもそも愛社精神など必要なのか。本当に愛社精神がなければ業績は向上しないのか疑問なところがあります。翻って愛国心を考えてみればそんな個人と所属する団体の関係が明らかになると思います。
もし国民に愛国心がなければどうでしょうか。戦争が勃発しても今では誰も戦地に赴きたくないと考えるでしょう。行くのは自衛隊や一部の変わった人くらいで一般の人に召集令状が来ても皆逃げるように思います。
ですから第二次世界大戦のような大規模な戦争はもう勃発しないでしょう。すなわち愛国心が世界のどもでも消滅したのです。
もちろん戦争はない方が良いに決まっています。でも愛国心の消滅はどこかで国に悪影響を与えそうです。もっと小さな範囲で友情という無形のものを考えれば分かります。
今友情というものはまだ存在しているでしょうか。友達はいるでしょう。でもその友達との関係で自分をある程度犠牲にしても友人の利益を守る人がどれだけいるでしょうか。
現在は残念ながら利他という精神が失われてしまいました。自分の利益を守ることに汲々とする社会は殺伐としたものです。義務として身障者のことを考えることはあっても健常者に対する利他主義はもうありません。
そんな世の中の到来は好ましくありません。個人個人が互いに信頼し合えるような社会こそ理想でしょう。
給料の振り込み制にそんな深い意味はないでしょうが、ふと昔のことを考えてみるのです。これも老化現象の一種でしょうか。
酒巻 修平