社会改革-普通選挙法

江戸時代には選挙法はなかった。今の役所や会社と同様重要な役職は互選または勢力の大きい人物が選んでいた。明治になると選挙法が制定されたが、選挙権を持っているのは華族であるとか高額納税者などに限られていた。

 現在のような普通選挙法は日本が第二次世界大戦で敗北した結果、主としてアメリカによりもたらされたものである。今では当たり前と思っていることでも、日本は独自で制度を作ることができなかった。

 この権利は国会議員を選出する権利である。本来は自分たちの生活は自分たちで考え、実行しなければならないが、国民全体が人数の上でも技術の上でもそんな作業に関われる訳はない。

 それで代議員制度を設け、代議士を選ぶ、即ち選挙制度が存在するのである。江戸時代のように武士が消費生活をし、それを主として農民が支える不平等はこれで解消される。

 選ばれた人は法律を制定する代表であるから、当然能力があり、人格が高潔な人であるべきだが、これがそうはいかない。我々が持っている投票権は一票であるのが大きな原因だ。衆議院議員は主として小選挙区からの代表が選出されるが、それでも何万人かの中のたった一票。参議院議員は全国民何千万人の中の一票。

 これでは選挙民は真剣に選挙という作業をやる気になれない。選挙される方も一票の獲得を目指さず、大きな網を打つように選挙民に対応する。一票ではいくら権利を持っていたからといって、影響力は少ない。従って一票を持っている人たちを束ねて選挙に臨もうとする。それが組織票と言われるものである。

 組織票はそれをリードする人がいて、纏めて同一候補に投票するから、影響力が大きい。しかい組織票は組織員の意思が必ずしも反映されている訳ではないから、普通選挙法と言ってもその意味合いは相当程度減衰している。

 ただ、今は浮動票と言って組織に属さないか、組織に属していてもその組織の指揮系統に入らない人が持つ票が大きな意味を持つようになった。それが本当の意味の普通選挙である。

 権利は義務を伴う。選挙民は投票する相手を知る義務がある。国を代表する人だから、選ばれる人は誠実で、高い能力を思っていると考えているだろうが、これがそうではない。

 なんやらチャイルドという言葉は小泉進一郎のときから発生した。ここでは選挙民がチャイルドの親分(例えばこの場合は小泉進一郎)の人気に引きずられて能力も誠実さもない人を選んでしまう。

 そうするとどういう結果になるだろうか。極端な場合国の金をくすねる人も出てくる。そうでないとしても全く無能な人が国政に携わる事態になるのだ。その代議士は無能だから意見を持たない。あるいは親分に付和雷同する。それでは普通選挙法がある意味がない。

 テレビでおばさんが「あの人可愛いから、私入れる」などと人柄、能力と全く関係のない理由で選挙権を行使する様を見るとぞっとする。そんな人に選挙権があっていいのだろうか。

 議員は経済、社会保障の在り方、外交、教育など知らなければならないが、選挙する方は選ぶ相手がそんなことを理解、実行できるのか分かるのだろうか。私は「否」だと思う。

 現実に私もそうだ。感に頼り知性的な人を選んでいるのだが、その人と話したこともないし、見たことすらない。だから私は義務を果たしていない。選挙権が私にあってはならないのだ。例のおばさんと結果は一緒ではないか。

 私は戦前の選挙法の方がまだ今の普通選挙法よりましだろうと思う。タレントなど選ばれなかったし、選挙する人も選挙される方も真剣だったろう。

 普通選挙法は何かの形で見直されなければならないだろう。選挙する人には能力や誠実な意思が必要だし、そうでなければ何らかの制限があるべきだと思っている。

普通選挙法は国を悪くしていないか。その意見が不当というなら、選挙民はもっと勉強して欲しい。その義務がある。

酒巻 修平

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