相当裕福な家でないかぎり、どこの家も狭い。我が家も例に漏れずゆったりと歩けるスペースがない。

 こんな狭い家で活躍するのが、箱または箱型の容器である。家の中を見回すと箱、箱、箱のオンパレードだ。

 そんなに箱が珍重されるのは、箱が持つ整頓性である。箱は立方体であるから、互いに隣り合う箱同士が面を隙間なく埋める。これが丸形だと如何に多くのスペースを占めるか、整頓をした人なる容易に分かる筈だ。

 物質の正確な定義は別として、物質は宇宙の重力、引力、遠心力などの影響を受けるから、宇宙には直線はなく、従ってこの箱型の物質はない。

 箱型は人間が製作した人工物である。宇宙には3種類の物質がある。自然物、生物そして人工物だ。

 人工物たる箱型は人間が作る以外に存在することがない。だから見るとどこか落ち着かない。

 昔の人はこの箱型をあまり好まなかった。窓も丸窓が基本で長方形の窓は無粋だと考えられていた。

 自然に存在するような形を自然形状と呼ぶと、箱型は人工形状と言うことができるだろう。それは自然音階と平均律の対比と同列に考えることができる。

 平均律はバッハが完成させた音階である。音は自然にある音波により構成されるから、平均律のように1オクターブ上の音の周波数になるということはない。

 直線でできた形も平均律も上手く組み合わせないと、美しくはない。自然な形状、音階はそれだけで美である。山の木の形や鳥の鳴き声など自然の物は巧まずして美しい。

 人工物は人間が人間の役に立つように作ったものであるから、便利である。そしてそれは改良を加えることができる。

 人間の役に立つように作るには、元から目的に沿って製作しなければならない。しかし人間の求める役割、目的は多種に亘る。

 従って全ての人のニーズに合わせるように箱型を作ることは困難で、作れても採算が合わない。使用するに当たっては、使う人が自分の便の良いように組み合わせて使う、即ち配置しなければならない。

 その配置もまた人工的であり、配置が終わった箱型の集積は人工形状だ。配置する人は箱のメーカーと同じ能力を必要とされる。

 ビルのような外にある箱型は一般の人が作れないが、室内の箱型の組み合わせは誰もがやることだ。

 しかし狭いスペースを種々の大きさで上手く埋めるのは至難の業だ。一番大きい作り付けの本箱や食器棚に対してどのような箱型容器を組み合わせるか、面倒ではあるが、とても面白い。

 ネットでは色々なサイズの箱が売っている。が、丁度良いサイズのものを見つけるのはなかなか大変で、どうしてメーカーはこのサイズのものを作ってくれないのかと、不平半分探すことが多い。

 文庫本の高さは15cm前後で、それに合わせた高さの箱は既成であるのだが、中には17.6cmの高さのあるハヤカワ文庫はそこには収まらない。仕方がないので、天板を取り外して使っている。

 幅10cm以下の箱もない。あるいは15cm、25cmも見つからない。大きいと余分な空間ができてしまって、狭いスペースの中、勿体ないと思ってしまうのは貧乏性なのか。

 昨日41cm幅、30cm高のカラーボックスを注文した。届くのが楽しみだ。一つ1700円もした。

酒巻 修平

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

前の記事

白鷺

次の記事

夕飯