アメリカ語雑記

 学校の教科書や教えられる米語ではあまり聞きなれないし見慣れない言葉を並べてみようと思います。そうすると日本語と米語の表現がいかに違うが見えてくるようです。

 アメリカのレストランに行くと先ず案内嬢が客の好みを聞いて適宜席に案内してくれます。窓側や角の席に人気が集まるので、空いていれば案内してくれますが、そうでなければ他の好みと近い席に誘導されます。

 本来中央の席が最上席ですが、今はそんな習慣は廃れてしまいました。元々女性は見世物や自慢の対象になったので、中央の一番目立つ席が上席とされたのです。

席に着いて少し気持ちが落ち着くころにウエートレスが注文を聞きに来ます。注文をし、何か頼み事があるとウエートレスは「right now」と答えます。すなわち「只今すぐにお持ちします」という意味です。

日本でも昔は「はい、只今」などの表現をして客を待たせないような言葉を使いましたが、今は「少々、お待ち下さい」が多いようです。これには年配の客はあまり良い気持ちになれません。客は“客を待たせるのか”と思うでしょう。

イタリアでもそうです。ウエートレスは「subito」すなわちやはり「すぐに」と言い、この表現はほぼ全世界共通です。日本語はその点劣化したようです。

アメリカでは大体料金の15%くらいのチップを置くでしょう。それが極端に少ないとウエートレスは自分のサービスが悪かったと思うか、それとも礼儀知らずの客と思うでしょう。

さて勘定を支払って帰ろうとすると店員が「come back, sir」などと見送ってくれます。「sir」はイギリスの貴族の呼称の前に置いたり、また「ご主人」などの意味を表しますが、アメリカではお金に対しての尊敬を表すでしょう。

アメリカでは拝金主義が横行しているので、お金さえ払えば倫理に反しない限り色んな要求ができるようです。

「come back」の「come」は学校でも習う両者が近づくことを意味するので、「come back」はまた是非お越し下さいくらいのことを表します。

会社で来客があって接待をしなければならない時、妻には必ずその旨連絡するようです。その時この人を表す「fellow」という言葉を使うでしょう。学校で習った時にはこの「fellow」が良い意味なのか、それともあまり歓迎しない人のことなのか分かりませんでしたが、「fellow」は純粋に相手をある程度尊敬している時に使うと知りました。

そのお客様に食事を振る舞いその後アルコールを飲める所へ行くでしょうが、若い人同士ならビリヤードなどに誘われることも多いと思います。

誘った人はある程度興味があるのですが、客の方は初めてという人もいるでしょう。なかなか球が穴に入りません。でも招待してくれた人はそんな時でも「almost」と言います。これは「惜しい」ということを意味します。

学校で習った時はこの「almost」を「ほとんど」と覚えましたが、上記のように「惜しい」という意味もあるのです。覚えておくと便利ですね。

バーに行くと飲むだけではなく、会話が交わされます。面白いエピソードを話してやると感心をするでしょう。エピソードを彼らは「story」と言います。何しろアメリカ人には日本は未知のことが多い国です。

私はそれでアメリカ人をよく騙してやりました。でもそのうちは私が嘘(相手を傷つけない嘘は許される。嘘も方便の嘘はこの類の嘘です)を付いているのを知ると「you are kidding me」などと笑いながら非難します。

 こうなると相手とは友達感覚が生れ、その後のビジネスもスムーズに進でしょう。この「kidding」は「kid」の進行形で「子供扱いにする」という意味です。間違っても「You are lying」=「お前は嘘を付いている」などとは言いません。

 欧米のキリスト教国では嘘は重大な犯罪を構成することがあります。米国大統領だったニクソンが罷免されたのはお金の着服が原因ではなく、嘘を付いたからだそうです。

 自分たちが乗ろうとしているバスなどが直前に発車した時になどは「Oh, boy」と言う人がいます。他に「Oh,my God」とも言うでしょうが、この「boy」という言葉は便利な言葉です。

 「boy」は少年、青年、男、感嘆詞などを意味する言葉です。有名な「Boys,

be ambitious」は「少年よ大志を抱け」と訳されていますが、どうも違うような気がします。正確に訳せば「男どもよ、勇敢なれ」くらいで、この場合クラーク氏は自分への自戒の意味も含ませたようです。クラーク氏はある程度年を重ね、もう大学を卒業したての若者ではなく大志を抱くこともない。勇敢に立ち振る舞う気力が失せたと考えたとも思われます。

 その証拠にクラーク氏はアメリカへ帰国してからあまり活躍しなかったようです。若いということは何ものにも代えがたいことですね。

 「copy」という単語は書面などをコピーすることだけを意味するものではなく、誰かが言った言葉をその通り繰り返す時にも使います。飛行機の管制官が「Do you copy?」とか要請する時に話しているのを映画などで見かけます。

 面白いのは例えばドアをノックしている人に誰何する時です。米語ではそれを「Who is it?」と言い、ドアに近寄ってから訊く時には「Who is this?」と言います。

 「it」とか「this」は人を指す言葉ではないので、適切ではないと考えるのは早計です。もしかしたら動物がドアを叩いていることもあるし、風の音かも知れません。でもそれが人だと分かっていてもやはり「it」とか「this」を使います。

 本当かと驚いて聞き返す時も「Is it?」が使われます。私は若いとき極めてやせていて、オーストラリアで洋服を買うときに、ウエストを図られて余りにウエストが小さくて実際この「Is it?」を使われました。「えっ、本当」というくらいの表現ですよう。

ペットなどに「he」とか「she」など人を表す言葉を使うのはそれだけペットを尊重しているのかも知れませんね。日本語でもペットを指して「この人」と言うこともありますね。この点は日本、アメリカで同じ考えなのでしょう。

字幕の映画などを見ていて話している言葉を聞いていると、いかに字幕の表記が意訳をしていて米語と日本語の考え方の観点が違うか分かります。

 スラングに目を転じるともっと奇妙で驚くべき発見がある。アメリカ人にはいまだ開拓者精神が存損していると見えて、上品な言葉より開拓者的な言葉を多用する。

 例えば「fuck」という単語だ。日本語に訳すのは憚れるがトランプ大統領でも使いそうだ。彼は個人的な会話ではこれを年中使っているように思えてならない。

 その前に「mother」を付けるなど不謹慎この上ないが、アメリカにいると良く聞く。子供が好むうんちを意味する「shit」はどこでも話されている。

 「Oh, shit」はしまったというくらいの意味か。「bull shit」は嘘を付くな、馬鹿らしいくらいで、私もアメリカではよく使った。

 「piss me off」は「私を追いやった」くらいで、こちらもおしっこという小児語のようだ。

 「bloody」は何の意味もなく間投詞のように使用されている。「How many bloody computers do you need?」「The bloody knife hurts me」など普通に使っている。

 この「bloody」はギロチンで処刑されたマリー・アントワネットが血を流している光景から取られたのか、不謹慎であるし、野蛮だ。

 そう言えば「bloody Mary」というカクテルがあり、それは主として朝飲むようだ。アメリカ人はそんな表現を下品とはしていないのだろう。それらの言葉を使うことにより「friend」になるのだろうか。

 ところでアメリカで答えられないことをよく訊かれる。「Do you know Mr.

Tanaka」という類だ。だがそれに対する回答はない。田中という名前はあまりに普遍的であるし、質問者とこちらの間にはそれまで共通項がなかった。

 きっとその田中さんは質問者が「friend」と思っている人だろう。アメリカ人は会社より担当者を気にする。太平洋株式会社なら知っている可能性も高いが、人の名前など答えようがない。では「Do you know Mr.Johnson?」と聞いてみようか。

酒巻 修平

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