ぐい吞み

 相当前になるが、私は33歳のとき10年以上続けたサラリーマンに別れを告げて、会社を興した。

 そのときのメンバーはサラリーマン時代の同僚たちで、一人は営業部長代理、一人は営業マン、一人は技術系の人だった。

 結果的に営業の人がたちは全く営業ができなかった。私はサラリーマン時代事務系で営業ができないと人から言われていたので、営業の人二人を誘って会社を興したのであるが、これが見事に失敗。

 営業部長代理だった人は嘘つきのどうしようもない人で、会社から出張旅費を仮払いしては家にいるというタイプで、まもなく自身も独立して、自分の会社を興したのは良いのだが、その会社も3年で倒産。

 銀行から資金を借りていたのだが、借りる時に社員の持ち家を銀行に担保として出した。即ちその社員さんは物上保証人となったわけだ。

 倒産するくらいだから、借りた金を銀行に返せなくなって、その担保は銀行に取られてしまった。家も職も失ったその社員さんは可哀想に後に愚痴をこぼしていた。 

 我が社のもう一人の営業マンも出来が悪く、全く商品を売る力がなく、やはりサラリーマン時代の部下を経理社員にしたとき、その社員のアドバイスを受けて、その営業社員も辞めてもらった。

 私は営業経験がなかったが、仕方なく営業を始めた。最初の売上は7000円。それを売るのに3か月掛かった。それから6カ月目に100000円を売ったが、なにしろ経験がなく、性格的に営業向きではなかったからか、散々だった。

 ところが一所懸命やったものだから、1年後には月商2000万円の売上を達成できるところまでになった。3000万円あった会社の赤字は1年ちょっとで解消した。

 技術系の社員はそのころもう60歳であったが、非常に誠実な人で、旧南満州鉄道に勤めたことがある秀才だった。

 仕事は丁寧で、熱心だった。この人も私がサラリーマン時代に同じ会社で働いていたのだが、あるとき自動車メーカーに納入した機械の配電盤に不具合が生じた。

 その配電盤はいつも故障しているのだが、北海道大学出身の技術部長という人が配電盤を蹴ると不思議に機械は動き出すのだった。しかしそれを見た後の我が社の社員さんが丁寧に配電盤内を掃除して、ビスなどを締め直してさて電気を入れると見事配電盤は動いた。私はそれを見て感銘して、以後友達になった。

 しかしその人は技術系の人だから人間科学は不得意だった。人の精神の在り方などには興味を示さず、ただ事実を事実として処理するような人だった。

 会社が利益を出すようになっても、しばらく私は全国に出張して、営業活動に専念した。私も事務系なので、人を柔らかく扱うことが苦手で、売掛金を支払わない顧客とも争いを起こした。しかし頑張った。

 地方に出張に出て、営業の成果が上がると記念にぐい吞みを買った。大体5000円から10000円くらいだが、それは今も残っていて使っている。このぐい吞みは北海道へ行ったときだとか、四国の顧客の隣の店で買ったとか思い出して懐かしい。

 私が買ってきたぐい吞みで酒を飲んでいるのを見た技術の社員さんは、私がそんなものに金を使うのを無駄だと思って、そんな器で酒を飲むと酒の味が良くなるのかと不思議がった。

 そこで理屈っぽい私は答える。人は肉体と精神でできている。精神は心で頭脳がそれを構築する。だから営業成果が上がったときに買ったぐい飲みが酒の味を良くするのは頭脳に由来すると言ったが、その人は半信半疑だった。

 それから30年。その人と行き来した最後は10年ほど前だが、もう亡くなられたと想像している。生きておられたら100歳を超えている。歴史を振り返るのは懐かしいが、どこか寂しい。

酒巻 修平

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