箱と中身

 日本ではものを買うと往々にして非常に美麗な

箱に入ってくることがある。箱は作るのにコストが

掛かるから、無意味ではないとメーカーは考える。

 買う人の多くが箱の美麗さを欲しているから、

メーカーは箱を作るときに重視するのだ。だから

本来は不要なものを買っているとも言える。

 箱は中身を想像されるという目的があるので、

コストを掛けてメーカーは作っているし、買う人も

同じ考えで箱に対応している。

 しかし箱は中身の品質を必ずしも示しているのでは

ない。むしろ中身の品質が相対的に低いのを隠す意味

もあるのを忘れてはならない。

 箱と言ったのは例で、物の価値を示す尺度を言って

いるのだ。中身の商品の品質は箱で決まるわけでは

ないのと同様、物の価値は物に付属したことでは

決まらない。

 値段、ブランド名、メーカー名、宣伝の巧みさ

頻出度、知名人の使用の有無、販売人の営業の

テクニック。そんなものが全て物の品質を誤認させる

ように働いている。

 芸能人が使っている、シャネルの商品だ、値段が

高いあるいはテレビで宣伝しているなどなど、

商品の品質とは直接関係がない。言われれば思い

当たる向きもあるだろう。

 あるネグリジェをデパートが販売しようと店頭に

展示した。ところが売れない。自棄になったデパートの

責任者がその商品の値段を十倍にしたら、仕入れた

数量の全てが短期間で完売した。そんな話を聞いた

ことがある。

 有名なルイビトンの初期のデザインはどこと言って

良い点がなかった。それにビニール製だ。ところが

これを日本人はこぞってかった。

 同じものは昔から売っていたのだが、ルイビトンが

有名になってから、飛ぶように売れたのはこのことを

示している。

 勿論値段が高く、ブランド品には良いものは沢山

ある。しかし良いものを選んだら価格が高く、

あるいはブランド品であるという逆の発想が必要だ。

 海外で宝石を買ってもケースは高価ではない。彼ら

は箱より中身の質を重視する文化があるからだ。

 物の質を直接判断することが文化であり、そんな

習慣を付けると文化が向上する。逆に判断する人は

文化の向上に寄与していない。

 高校生がブランドものを持っているのを見ると、

その人の中身が薄いと考えてしまう。しかしこれも

持ち物という箱から中身を判断するのであって、

必ずしも当たっていない。

 しかし日本人が箱から中身を判断する習慣がある

ので、そんな高校生には文化がないと考えられて

しまう。

 箱から中身を判断するということは他人の判断を

自分の判断材料に使うということだ。これでは自主性

がなさすぎないだろうか。

 同様のことは日常生活の場でしばしば目にする。

ある大学病院では日に4000人の患者が来診にくる

と聞かされている。しかし医療行為は個人プレーで

あって、その大学の病院の医師が優秀だとは限らない。

 私もある大学病院で酷い誤診を身近な人がされた

のを経験している。この病院は極めて学業の高い人

が医師をやっているのが、喧伝されているが、私は

信用しない。

 一時は舶来品と称して輸入商品がもてはやされた

けれど、この現象は今や失った。日本にはその分

文化が根付いたのだ。

 他人の判断に任せず、自分自身の目で判断する

習慣を付ければ色々なことが分かってくる。

 アメリカ主導の経済の危うさ、政治の危険さも

しっかりと政治家は見なければならない。

酒巻 修平

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