国内感染4万人超す

 昨日の読売新聞の33面の身出しはそうなっていた。だがこれは完全な間違いあるいは不適切な表現だ。

 正確には検査を受けて陽性になった人の数である。だから感染者はもっともっと多いと推定される。友人も感染したらしいが検査を受けることもできなかったし、感染の有無はとうとう分からずじまいだった。

 想像すると日本には感染者がもう何百万人もいるのではないだろうか。もしその数が300万とすると死亡者の割合は1000/3000000=0.00033となる。

 非常に低い割合である。そのように統計は正確にしないと間違った印象を人に与える。例えば10人の人がいて、平均の貯金高が1000万円とする。だが一人10億の貯金を持っている人がいると他の人の平均の貯金高は0であるかも知れないのだ。

 その9人の人は自分が貧しいと感じるだろう。サラリーマンの平均年収が1000万だとしてもその内訳を調べると意外なことが分かるかも知れない。

 このコロナに関しての統計の取り方はいつもおかしい。政府から指示されてそんな表現をしたのかも知れないし、あるいは不適当な表現を使ったのかも知れない。

 日本では検査の数が諸外国と比較して少ない。検査要員が足りないのか、試薬が不足しているのか、厚生省や政府は怠慢である。

 それでは正確な感染者数は分からない。もし感染者が300万人いたとすれば対応も違ってくるのではないか。

 そこはひとまず置いて、死亡者数と検証してみよう。インフルエンザで亡くなる人の数が毎年3000人以上いる。それに対してコロナでの死亡者はたった1000人。

 そのために経済を犠牲にして良いのだろうか。病気でなくなる人は気の毒だがそんな人は沢山いる。たった1000人のために無観客の野球、相撲などが開催され、あるいはその前はそれらスポートそのものが中止になっていた。

 こんな行政の在り方は容認できるのだろうか。確かになんだかコロナは怖い。ではインフルエンザは怖くないのか。我々の心理がテレビや新聞などで操作されているように思えてならない。

 ある県では検査をできるだけしないようにしている。それでは感染者数は低くなるに決まっている。岩手県の感染者数も信じられない。

 このように感染者と感染確認者は全く違う数字である。感染確認者数を基準に統計を取ると間違った結果になるのは火を見るよりも明らかだ。

 どうしてこんなことになるのか。我々はテレビや新聞その他のマスメディアの報道を信じて良いのか政府発表の内容に基づいて行動しても良いのか。

 報道は民主国家では自由である。だが私はそれには問題が内在すると思う。自由はその報道が真実である時だけに与えられるものだ。自由というのが権利であればその権利の裏には義務があるだろう。

 その義務とは真実を報道することだ。かつて朝日新聞がありもしない韓国の従軍慰安婦の虚偽報道を行った。それが元で日本の馬鹿な政治家たちが韓国に謝り、賠償金まで支払った。

 私ならそんな朝日新聞を国家反逆罪で処罰するだろう。それがまだ堂々と虚偽の報道を垂れ流している。民主主義とはそんなものではないはずだ。

 マスメディアの怖さはあまりものを考えない人に間違った知識を得させることだ。周囲を見回しても感染確認者数を感染者だと考えている人が多い。それはそうだ読売新聞という大新聞がそう書けば信じる人が多いだろう。

 コロナは不思議な伝染病だ。死亡者数が少ない割に社会的影響が大きすぎる。行政が駄目なのか、マスメディアの過誤なのか、コロナの実害を遥に超えて経済や社会生活が混乱した。

 14世紀にはヨーロッパを初めとする国で多くの人が亡くなった。イギリスでは半数の人が亡くなり、それが中世の終わりをもたらした。だがこのコロナは違う。たった1000人が亡くなっただけで、こんな大騒ぎになる。

 それは一重にマスメディアの報道の仕方に関係しているだろう。我々は真実しか真実としてはならない。報道の内容には真実でないことが多く含まれる。もっと賢くなろう。

酒巻 修平

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