規制緩和は人を幸せにするか

 多分小泉内閣のころからだと思う。規制緩和が政府で喧伝されるようになった。海外との競争を考えてのことや物価抑制などが主眼であったと思うのだが、予期しない弊害ももたらした。

 そのあおりを食って私の母校の大学は他の大学に吸収合併されて学部の大半がなくなった。自分の母校に別に愛着を持っている訳ではないが、何か割り切れないものがある。理由は独立していては学校の経済が成り立たないというのが主な理由である。国立大学は利益を求めて活動していたのではないから、突然そんなことを言われても茫然とするだけであった。

東京大学など国立大学は全て独立行政法人になったが、ここでも独立して収支のバランスを取らなければならなくなった。東京大学は付属病院を持っているからいわゆる儲かる大学だということもあるので潰れない。

郵便局も民営化された。規制緩和は企業間の競争を強制する。国家にはより多くの税金が入るようになるだろうが、企業には余裕がなくなる。経費を節減して会社の体質を競争に対応しなければならない。賃金もできるだけ抑えられる。

他の国から進出する企業との戦いに勝利しなければならないので、止むを得ないことかも知れないが、世の中は殺獏としてきた。実力のある企業、能力のある社員はより多くの金を稼ぐが能力が普通程度の人の賃金は低くなり、より賃金の低い派遣労働者やパートタイマーが増える。

企業は経済競争に勝ち抜かなければならないから、同業他社と合併をする。あるいは消滅していく。靴磨きや屋台がなくなったのは他にも理由があるだろうが、こんな小さい商売にも規制緩和の波が押し寄せた。

寿司屋、肉屋、居酒屋、文房具店、おもちゃ屋などは数を減少させるか、あるいは大企業が経営するチェイン店が多くを占めるようになった。そこでは個性のない味だけが大量生産で客に提供される。食材は河岸を通さず漁船から直接買い付けるのでもう河岸にある問屋は儲からなくなった。肉屋、文房具屋、おもちゃ屋はスーパーに客を奪われ、間もなく個人でやっている店はなくなる。

12行あった都市銀行は今や3つ。自動車メーカーも少なくなった。その行く末はどんな状態が待っているのだろうか。世界にはたった一つの超超巨大企業だけが存続して人は全てそこで働く。国民全員がサラリーマンになり個人個人間の競争が激化する。友人という存在は過去のものになる。

その会社が経営している美容室に通い、寿司屋の味はどこでも同じ。ファッションも似たり寄ったり。新しいことを考える人はいなくなり、企業が経営するラブホテルで愛を交わす。

政府は存続するだろうが、会社の実力者の言いなり。そうでないと金が入ってこない。人から笑いがなくなり、老人は放置される。

30年ほど前まで、会社は税金を支払うより社員により多くのボーナスを支払った方が良いと考え、我が社も景気の良いときは年間10カ月ものボーナスを支払った。

それが株主優先になり、ボーナスはできるだけカットして配当に回す。国全体の景気は良いが、個人的にはリッチにはなっていない。富が偏重して、個人消費は落ち込む。

最近米大統領のトランプは自国経済、自国民を守るため輸入品に高関税を課す政策を実行すると宣言している。彼がどれだけ考えてそんなことを言い出したのか分からないが、歯止めのない自由競争に一定の抑止効果はあるだろう。

大企業対大企業の規制緩和は歓迎すべきところもある。しかし東京電力に力がなくなれば今ある電柱は永遠に土中に埋設されなくなるだろう。規制緩和は良い側面も勿論あるだろうが、野図法に推し進めると世の中から温かみがなくなるだろう。

人間社会は近い将来大変な危機に遭遇するだろう。そうならないために各国が競争するのではなく、協力しあって豊かな人類社会を構築しなければならない。そのために政治家は何をすべきか問いたいところだ。

酒巻 修平

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