本の役目

 古今東西どれだけの本が書かれて人がそれを楽しみ、参考にしてきたのか。本がなければ文明はこれほど進まなかったに違いない。

 本を書く側の人も自分の意見や事実をまとめるために多大の努力をしてきただろう。本はそれほど人類の歴史になくてはならない物である。

 これを著者と読者の関係で見ると情報や考えを与える人と与えられる人とも言える。著者は自分の発見や知見を読者に与え、読者は本の内容を参考にして自身の研究を進めるだろうし、また娯楽の具ともなる。

 だがこの関係は何も本に限ったことではない。テレビ、新聞、サイト、人の話し。これらには本と同様与える者と与えられる者の関係が成り立っているのだ。

 読者もそれなりの読解力がないと本の内容を充分に読みこなせないという側面がある場合もあるが、やはり本を書く側には読者に数倍する時間と努力が注がれた。

 本を書くに当っては書く前の知識レベルを高め、更なる研究が必要であろう。本はそういう意味で一面著者のためとも言える。

 一般人は家でテレビを見、電車に乗ればスマホで情報を手に入れゲームに熱中するだろう。すなわちいつも何かを与えられているのだ。それは情報であり、ゲームの面白さである。

 会話や協議について考えてみよう。あるテーマに沿って話し合いが進むだろう。会話においては一方的に誰かが話すこともあるがそれは稀だ。

 誰かが何かのことのついて話しを始めると聞き手もそれに応えて話しを返す。そこには与えることと与えられることの両面がある。だから人はいつも与えられている訳ではない。

 だが通常の生活ではテレビや新聞、携帯電話を通じて与えられることが多い。我々はいつも何かを与えられているのだ。

 仕事を通じて労働を与えればその対価として賃金が支払われる。与えるというのは人を利する行為であるのは当たり前だ。

 本の内容を知りたいと思えば本の購入を通じて対価を支払う。だがテレビやスマホなどの情報には支払いをしないことが多い。NHKはその点ストレートに視聴料を徴収するのだ。

 テレビやスマホを通じての情報の開示に関してテレビ局やスマホのアプリの作者は広告という手段で与えたものの対価を得ているのだ。

 それだかけ与えられる側は少ない労力で貴重な情報を得ていると考えても差し支えがないだろう。本で語られている内容に反論があるとしてもやはり著者の努力より少ない労力を読者は投じているに過ぎない。

 それでは読者は何の努力もしていないかというとそれも違う。読者はどの本を読むか選択をしなければならない。タイトルから見て本を読むことが多いが内容が自分の欲しかったものとは違うということも多い。

 現在氾濫する情報の中から真に自分が欲するものを取捨選択する能力が必要なのだ。現在サイトの数はどのくらいあるのだろうか。その中から自分の欲するものを選ぶのは限られた時間を有効に使う唯一の手段である。

 そうは言っても現代人は与えられる側に立つことが多い。本や情報を取捨選択する技術も大変であるが、情報を発信し本を著すためには脳をより使う。

 知識を得ることは記憶力を発動することで、知識を与えるためには思考能力を駆使しなければならない。

 人の脳は使う部分のシナプスを増強し使わない部分のシナプスの数を減じる。今は記憶に関わるシナプスが増える行為がとても多い。反対から考えると考えるための脳の能力は減衰している。

 考えるのは脳の中にある情報を整理、集積、組み立てる行為で、これは情報の取得、すなわち記憶よりも高度な脳の使用法である。

 本を読む行為は情報を与えられる行為であるから、記憶的である。現在人は思考をあまりしない。それでは新しい考え方を創造されない。

 本を読むのは為になる行為であるし、楽しい。だがそこには思考という行為があまり関与しない。そんなつもりで本を読みたい。ものを考えるには本を読んではならない。

 本の内容は自分の考えの確認であるとも取れる。だが本がなければ他人の考えを知ることもできないし、技術の発達にはより多くの時間を要するだろう。

 本を読むことにより本に書かれていないことへの発想も生まれる。本は読み方を工夫しなければならない。たまには本を書くくらいの態度で本を読めば思考能力の向上に役立つかもしれない。

酒巻 修平

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