本当にあったプラセボ効果

 子供からの友達に明ちゃんという人がいた。そのころはまだ25歳にもなっていなかったと記憶するが、仕事がない時間はほぼ一緒にいた。気が小さくて良いやつだった。引っ込み事案で、女性にもてたことも記憶にない。

 明ちゃんのお父さんはもうなくなっておられ、私の家の近所にある親戚の家で生活をしていたので、その家にはしょっちゅう出入りをした。今でいう料亭を営んでいて住み込みの芸者さんもいた。

京都に親戚があり、時々私を伴ってそこを訪ねた。何故私が一緒に行ったのか、その理由はもう思い出せない。二人は余程退屈していたのだと思う。私の家族は貧乏だったが、私はもう就職していたので、電車賃くらいは出せた。

 私には生まれつきひどい喘息の持病があり、医者に掛かるお金もなかったので、発作が起きると一週間ほどは寝ていて自然に回復するのを待つのを常とした。でも就職してからは経済的に余裕が出たので、医者にも行くようになり、薬を絶えず携行していた。

 今はあまり使われなくなったネオフィリンというエイザイ製薬のくすりで、当時はどの医者も患者に投与していた。気管支拡張剤で、一時的に呼吸艱難を抑える。病状が進むと一錠だけでは足りなくなり、もう一種類アストーンという薬も使うようになった。

 一度ネオフィリンを発作のないときに験しに飲んだことがある。ずっと飲んでいると発作が出なくなると期待はしたが、飲んで1時間、2時間、体には何の変化もない。息がもっと楽になるかとも思ったがそんなこともなく、飲んだことも忘れるほどであった。お金も掛かるし一度きりで止めた。

 明ちゃんと京都の親戚に行ったときのことである。彼は大学で化学を勉強し、何とかいう小さな化学会社に就職していたが、出世をするタイプではない。でも化学の話は色々した。京都に行ったときも車中そんな話が出たが、内容は全く覚えていない。

 若かったから何でも話した。互いの会社での話は出なかったと思う。私も彼も会社では劣等生だったから、会社の話は面白くなかった。

 京都はそのころ今と違って観光客も少なく、静かで落ち着いた町だった。私はその雰囲気が好きで度々行きたかったが、一人でただ観光することはしなかった。今回は友達と一緒なので、楽しかった。

 簡単な昼食を済ませて時間のある限り色々なところを見て回った。若い二人だから洒落たところなどは興味がなかった。行ったのは有名な伽藍とか、御所などで、何度も行く機会のない二人には新鮮で歴史の重みも伝わってくる。

 私は興味もなかったし、そんな家に行くのが目的ではなかったので、どのように扱われたかも今では思い出せない。夕食に何を振舞われてかも記憶から飛んでしまっているが、寝床に入ってもまだ話をした。何時間も話したあと、もう寝ようというときになって明ちゃんが大きい声を上げた。「しまった、薬を持ってこなかった」と。

 私も持病もちだが、彼にも私に言わない病気があったのか、友達の体が心配になった。今更明ちゃんの家に帰って薬を持ってくるのも時間が遅すぎる。明ちゃんはすっかり落ち込んでいる。

 どうした?どこが悪いの?と聞いても答えない。早く言えばまだ薬局が起きているかも知れない。名前を聞いてその薬を私が買ってくることもできる。でも明ちゃんは自分の病気を言わない。

 何とか言わせようと努力した結果、分かったのはひどい不眠症とのことだった。私は咄嗟に笑い飛ばして「何だ、早く言えば良かったのに。僕もお前以上の不眠症で悩んでいるのだ。とても良く効く薬を持ってきたから一錠上げるよ」と言ってネオフィリンを一錠上げた。勿論効果はない。

 しかし明ちゃんは朝までピクリともせず眠った。明くる朝起きるやいなや彼は薬の名前を聞きたがったが、私はごまかすのに苦労をした。

 私はその後東京に出てきたので、彼とは没交渉になったが、彼は50歳のとき癌を患って死んだ。それは結婚した彼の奥さんからの手紙で知った。若い日は去ったと自覚させられたのはその時だった。

酒巻 修平

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