忘れ得ぬ人々 - 東大卒業者

昭和50年に設立した会社も落ち着いたころ、東京大学の法学部を卒業した人を社員として採用した。一体仕事ができるのか、それとも学業と仕事は別なのか、不安な気持ちは払拭できなかった。

社員が会社に馴染み、商品や会社のシステムに沿って仕事ができるまでにはそれ相応の時間が掛かるのは止むを得ない。会社は先行投資をするのだが、雇用される方も自分の時間の大半を提供する訳だから、慎重にことを進めなければならない。

そんな考えでこの社員になった男性と仕事を共にすることになった。部署は貿易部で、英語を使うことが必須であった。勿論最初からアメリカ人に通用する英語を書いたりできるとは期待していないが、この人はそれなりにまともな英語を書いた。

流石は東大を出た人だなと思ったが、英語そのものはそこそこだったが、こちら側の意思をきっちり伝えるのは難しかった。英語が得意な学校を出ている人に有り勝ちなことだが、英語そのものは立派だが極端に言えば何を言わんとしているのかが分からないことが多い。

仕方がないので、添削をしてやることになった。英語を添削するのではない。相手にこちらの意思を通じさせるにはどうしたら良いのか。それを指導するのだ。我々日本人間でも話が上手い人、文章が分かり易い人は当然いるのだが、これは天性のものかも知れない。

この人はどうしても自分の世界から出てくることができないタイプらしく、色々と説明するのだが、どうしてもアメリカ人に意思を充分に通じさせることが困難だったようだ。

この人は所謂外交官試験を2,3度受けて合格せず、年齢制限があってもう受験資格を失って、一般の会社に就職することにしたと聞いた。後で聞くと100枚くらい履歴書を書いたのだが、どこも採用してくれなかったそうだ。そして我が社に来た。採用が決定したときは真実かと疑ったらしい。

こんなことがあった。ある件を取引先に聞いて欲しいと頼んだ。しかし1週間経っても返事をくれない。どうしたかと尋ねると相手はできるだけ早く返事をしますとのことだと返答が帰ってきた。

 

しかし簡単な件なので、1週間も返事が来ないのは変だ。多分忘れているのではないのかとこちらの疑問を告げると「そんなことはない。相手は返事をすると約束したので、必ず返事がくる」と言う反論が返ってきた。

「でもまあ、確かめてよ」と再度相手に連絡するよう頼むと早速目の前で電話をした。すると相手はやはり「忘れていた。ごめんなさい」と謝る。こんなことはよくあることなので、私はああそうか、やっぱりなと考えているとその人は烈火のように怒った。

あのね。ここは東大ではないから、みな程度が低いんだよ。それは仕方がない。これからはもっと程度を下げて相手に接して欲しいと諭すやら頼むやら意味の分からないことを言いながらその件は終わった。

この人はしかし一緒に酒を飲むとどこかノスタルジアを感じさせる人で、仕事が終わると誘ってよく酒を飲みに行った。何度かそんなことをしていると酒場の雰囲気に慣れたのか、歌を歌っても良いか尋ねるので、「良いよ。歌ってよ」となってその人が歌い始めた。歌は「鉄道唱歌」。若い人は知らないかも知れないが「汽笛一声、新橋を・・・」で始まる大昔の歌だ。それを新橋から初めて京都まで全て暗記していて、歌い切るまで30分も掛かった。

またある時は忠臣蔵の「刃傷松の廊下」のくだりの科白を吟じるように語る。それも30分。良くまあ覚える根気が続いたものだと感心したのは私だけではなかった。当時の飲み屋はどこも流行っていて相客が何人もいる。その人達も感心するやら、唖然とするやらたちまち常連客の人気者になってしまった。

時々自宅に社員連中を呼んで食事をすることがあった。その人は行っても良いけれど卵を13個欲しい。それも自分では割れないから奥さんに割ってもらいたい。そんな非常識なことを言う。私はまた面白がって要求を呑んだ。

 その日は頑張ってすき焼きにしたので、生卵を各自使うのだが、私に言われた妻は渋々13個の卵をその人のために割った。勿論普通の器でははいりきらない。ラーメン鉢のような大きい器に13個の卵を妻は割って入れた。

 忘年会で寿司屋に行くとウニとトロしか食べない。仕事はあまりできる方ではなかったので、とうとう他の社員から何とかしてくれと苦情やら要求やらが出るようになった。多分他の部署の人とのコミュニケーションが上手くいかなかったのだろうと推測できた。

 社員の声は会社では世論である。無視はできないし、多数の社員からの声は大きすぎる。私は飲み友達として置いておきたかったが、仕方なく辞めてもらう決断をした。喫茶店にその人を呼んで「あなたはどうも商業には向かないようだな」と重い口を開くと察し良く「それは辞めろということですか」と応答があり、その人は会社を去った。

 しかし次の就職先はなかなか見つからないだろうから、私は推薦状を買いてやり、今後どんなことでも協力するから言って来て欲しいと再就職の助力をする約束をした。

 それから何度か電話があり、新しい就職予定先から電話があるだろうが、そのときには良しなに頼みます。そう言われて電話があるだろうと予期していたが、一向に電話がない。ちょっとがっかりしたが、とうとうそんな就職先候補の会社からは一度も電話がなかった。

 しかし3年間私の約束を約束として疑わずに種々連絡してきた。そして3年くらいしたころ、どこかに就職が決まったらしかった。聞いてみるとどうも清掃会社の責任者ということだが、私はそんな名前は取って付けたようなもの。真実は実際に清掃をする仕事に従事させられると察して気の毒に思った。

 その会社も長く続かなかった様子で、その後はもう連絡が来なくなった。結婚をするのが一生の夢だと聞いていたが、それから30年、多分結婚もできていないと想像したくない想像をしている。

酒巻 修平

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