忘れ得ぬ人々 - 明ちゃん

  明ちゃんの本名は木村明弘という。確か小学校の同級生だったと思うが、記憶は定かではない。大学に入学してから時間ができて、付き合いが親密になり毎日ほど会っていた。明ちゃんは京都の大学の工学部に学ぶやはり大学生だった。

 当時は温かくなると床几というベンチのようなものを家の前に出して、将棋や無駄話をして過ごす人が多かった。明ちゃんの家の前にもこの床几が出されて私たちは無駄話しを楽しんだ。

 私は将棋が全く駄目だったし、明ちゃんも将棋をしようとは言わなかったので、決まった遊びはせず、毎日何時間も話しをした。どんな話をしたか今は全く覚えていないが、一緒にいると楽しかった。

 今では考えられない光景だが、当時はパソコン何てものはなかったし、映画を見に行くにも小遣いはない。それを不満に思ったことはなかった。

 明ちゃんの家は小さな料亭を営んでおり、専属の芸者さんがいつも家の中にいた。芸者さんは我々より5,6歳も年上であったし、異性を感じたことはなかった。学校から帰るとすぐに明ちゃんの家に行くと案内も乞わず中に入っていった。

 表戸は来るお客さんのためにあったので、裏口から入る。当時の家はどこも鍵を掛けていなかったので、無断で入るとずんずん進んで明ちゃんにあてがわれた部屋の外から声を掛けた。

 私たちは部屋で話さず、床几に腰を掛けて道行く人を眺めながら話した。そんな日が何年も過ぎた。そんなころ明ちゃんは同級生だった女性と話す機会があったらしく、それ以来その女性に恋をした。

 明ちゃんは大人しく背も余り高くなかったので、もてない。この女性も明ちゃんのことなど歯牙にも掛けないようで、明ちゃんは悶々とした日と過ごした。しかしそのうち思い切って行動を起こした。

 今でいうスートカーだ。私は相手にされていないのを知っていたが、私の忠告を受け入れるほど明ちゃんは冷静にはなれない。学校から帰るとその女性の家の前で彼女の帰りを待っている。彼女は高等学校を出て会社勤めをしていたので、帰りは6時か7時になる。

 明ちゃんは私との時間を取ることをしなくなり、学校から帰るとその女性の家の近くで彼女の帰りを待つ日々が続いた。私は話し相手がいなくなって詰まらなくなった。

 ある日中学の同窓会があった。明ちゃんは裕福な家の子だったので、中学は私立で私とも彼女とも同窓生ではなくなっていた。私は同窓会に出てきた彼女と席が隣合わせになったので、それとなく明ちゃんのことを話した。すると彼女はにべもなく「あんな人」と軽蔑するような言葉を吐いた。

 なお話をすると彼女は余り良い性格の持ち主ではないと分かった。私は元から彼女に異性としての興味はなかったので、明ちゃんとは恋敵にはならなかったが、彼女の使う言葉に嫌気が射して逆に彼女を「こんな女」と思う始末。

 当時ストーカー行為など警察は全く相手にしなかったし、犯罪も起こらない子供の遊戯のようなものだった。女性側も大して気にもせず、ストーカーをするに任せていたようだった。

 そうこうしているうちに明ちゃんと私も大学を卒業して、就職した。明ちゃんは新しい環境下でストーカーをする相手よりもっと美しい女性が職場には沢山いたらしく、ストーカー行為をすっかり止めてしまった。

 就職するとお互いに関心事は別のことになる。明ちゃんとも話す機会が少なくなっていき、私はそのうち東京に転勤を命ぜられた。明ちゃんはもとのストーカー相手は止めて、会社の女性に恋をした。でも振られ、また違う女性にアプローチをしてまた振られ、全くもてない。

 明ちゃんのお父さんは明ちゃんが小さいころなくなり、伯父さんの家に引き取られていたのだが、お母さんはお好み焼き屋さんを営んでいた。そこにはアルバイトの女性がいたが、明ちゃんはその女性と結婚をした。その人はとても気立てが優しく、私は陰ながら明ちゃんが幸せになったのを喜んだ。

 それから何十年か経って家に帰ると一通の手紙が配達された。明ちゃんの奥さんからの丁寧な手紙で、明ちゃんが癌で亡くなってもう葬式も終わったと書いてあった。50歳だった。

 明ちゃんは幸せだったか。子供も生まれて家庭生活は良かっただろうが、仕事の面では上手くいっていなかったようだ。それからまた長い年月が経った。思い出すことは少なくなったが、時々出てきては学生時代に無駄話しをした明ちゃんが走馬灯のように目の前に現れる。

酒巻 修平

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