見えざる殺人鬼

  検察官が事件の証拠となるフロッピーディスクを改竄する事態が発生したことはまだ記憶が薄れていない。被疑者とされた官僚の女性が何かの事件の被疑者とされ、証拠にフロッピーディスクが押収された。だが被疑者に不利な証拠が記録されていなかったので、担当の検察官が自分の手柄にするために改竄したのだ。

 この件は露見しその検察官が裁判に掛けられ、上司二人も関わったとされた。ただ裁判が始まった段階で報道が途切れ、その後の成り行きは知らない。被疑者とされた官僚は勿論無罪となったが、政府はそれに対する罪滅ぼしの積りか元被疑者の地位を上げ、最終的にはもと被疑者は事務次官にまで登り詰めた。

 この事件はたまたまフロッピーディスク改竄から明るみに出たが、被疑者が冤罪で罰せられる可能性もあった。警官、検察官、裁判官も人であり、間違いを犯す可能性は排除できない。

 このためアメリカでは冤罪を防ぐ対策が厳重に取られている。例えば違反もない車を何かの都合で警官が停止させ、たまたまトランクを開けさせると死体が出てきた場合なども、車を根拠もなく停止させたのであれば死体が出て来てもそれを何かの犯罪の証拠とはできない。勿論警官は嘘も付くから実際はどうなるか分からないが、少なくても法制上はそのようになっている。

 確かに凶悪犯人は逮捕され裁判に付されなければならないが、それより冤罪を防ぐ方がより重要であるとアメリカでは考えている。

 翻って日本では江戸時代、年末までに犯人を逮捕した与力(同心の上司)には報奨金が下賜され、それを目的として罪もない人が捕らえられていたて処刑されたことは文献にも見える。日本の官僚は必要とあれば嘘を付くのを躊躇しない。

 当然冤罪も多発する筈だ。私の友人にルポライターがいるが、その人からこんな話を聞いたことがある。もう大分前の話だが幼女を何人も殺害した宮崎勤という男がいる。友人は宮崎が逮捕された後、ルポ材料を仕入れようと刑務所に面会に行ったことがある。

 その時本人から聞いた話として、ある一人は自分がやったのではないと頑強に否定したというのだ。もう何人も殺害している犯人は先ず死刑を免れない。その犯人がある一人だけは殺害していないと否定する意義はない。幼女を殺害するなど狂気の沙汰で、そんな犯人の言葉は100%信用するに値しないが、それにしてもどうも不可解である。

 もし宮崎の言うことが本当なら、その一人について宮崎は無実で、冤罪が発生した可能性もある。ひょっとすると宮崎のコピーキャット(模倣犯)がいたということはないのだろうか。

 上記フロッピーディスクの件や与力のやり方でも判断できるように、日本人には嘘に対して大きな罪の意識を持っていない。自分や組織、政府を守るために嘘は日常茶飯事的に発生する。

 最近殺人事件の犯人が処刑された。その人は最後まで冤罪だと主張したが、とうとう容れられなかったが、その後どうもその犯人とされた人の言っていることが真実だと証明されてきているようだ。

 犯人ではないという証拠の品が警察、検察で秘匿されているというのだ。もしそれが本当であれば秘匿した人物は殺人犯ではないか。複数の人が殺害されるとよほどのことがない限り、死刑の判決が出る。

 それが分かっていれば無実を証明する証拠を故意に隠せば、少なくても未必の故意が成立しよう。しかしそんな人物が罰せられる可能性は極めて少ない。見えざる殺人犯だ。犯人とされた人物の身内の人がその証拠が警察に押収されたと言っているそうだが、裁判官は現場で調査をすることがない。

 殺人を犯したとされる証拠や状況が提示されるとそれだけで判断されるのが裁判である。ただ冤罪だと主張する犯人の死刑執行を法務大臣が躊躇うので、ほとんどの死刑囚は冤罪だと裁判後に主張するらしい。だから本当に冤罪だと知っている犯人の主張はそんな多くの冤罪主張の陰に隠れてしまう。

 殺害された遺族の心情は察するに余りあるが、だからと言って冤罪で死刑を執行してしまえばそれこそ取返しが付かない。冤罪を失くす努力をもう少しするべきだし、大体裁判官が政府に任命されることがそもそもおかしい。裁判官に聞いたところによると彼らはどうしても政府よりの判断を優先すると言っている。

 これではは三権分立が損なわれ、日本は民主国家とは言えないのではないか。因みに弁護士の監督官庁はなく、弁護士会が弁護士の活動を監督することになっていて、ここでは司法の独立が保障されている。

酒巻 修平

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