ブラック企業に勤めた

  大学も4回生になるとすぐに就職活動が始まる。昔からそうだった。私は生まれて1年もしないうちから喘息の持病が発症して、体には全く自信がなかったし、事実学校も休み勝ちだった。

 喘息の発作が出ると食事もできない。水以外の固形物を胃に入れると内臓が働かなくてはならないのか、呼吸がとても困難になる。だから発作がある間は流動物しか摂れない。体重は何と41kg。綽名は「ビアフラ」だった。

 そんなことだからしっかりとした大会社の就職試験に合格する自信は全くなかったので、たまたま求人があったとても小さい会社の試験を受けることにした。

大阪の繁華街近くにオフィスがあるその会社に面接に行くとそこには自分が卒業した大学の先輩が二人、部長と課長という肩書で私を迎えた。

 雑談すること1時間くらいか。私はそんな雑談が面接なのかと訝ったがそんな疑問を問うなど大学生にはできる勇気もなく、問われるままに自分の考えなど伸べていたが、どうも聞いている面接とは様子が違う。

 そうこうしているうちに5時になった。だから4時ころに面接が始まったのだと思うのだが、今はそんなことは覚えていない。二人の先輩は私を促し、外出というか帰宅の用意をしている。

 私は就職試験に合格したのか、最初からこいつは駄目だと思われたのか、とても心配でその先輩方に付いて会社を後にした。どこか目的地があるようで、私も付いて行ったが試験の合否が気になって仕方がない。

 連れて行かれたところは高級そうな料亭で、私も促されて中に入った。そのうち酒や料理が運ばれてくる。ことの成り行きに戸惑っていたが、思い切って聞いてみた。

 「私は採用になるのですか」と聞くと部長の方の先輩が「何でそんなことを聞くの」と反対に聞き返される始末。「もし駄目ならまた就職活動をしなくてはならないので」と辛うじて本心を明らかにした。

 部長は「当たり前じゃないか。だから一緒にめしを食べるのだろう」と話し、私にも酒を注いでくれた。私は嬉しくて杯を何杯か重ねて、今度は気が楽になり、料理にも手を付けた。

 料理と酒をほどほどに口に入れるとすぐに部長が課長と私を促し、繁華街を進んで行った。入ったところはどうも女性のいる高級クラブのようなところ。私の家は貧乏だったし、そんな高級な場所に来たことがない。落ち着かない気持ちで座っていると3人の女性が席に姿を見せ、それぞれの隣に座った。

 部長は私のことを来年新しく入社する酒巻というのだ。よろしくね。などと私を女性に紹介する。脂粉の匂いと柔らかな雰囲気に包まれ就職が決まったことで私は酒を過ごした。

 明くる年の4月1日、面接があった事務所に初めて出社するとその日も食事に行き、また高級クラブに連れていかれた。このころの日本は絶頂期で、高度成長の真っただ中。部長は会社の経費でそんな高級な余暇を過ごしても経理は何も言わなかったようだ。

 その会社で1年、2年仕事をしていると私も仕事に慣れてきた。そんなある日、私は社長に呼ばれ、「お前さんはこれから東京に転勤だ」と告げられその日のうちに社長に付き添って東京に出てきた。

 しかし東京には支店もなければ事務所さえない。私は伯母を養っていたから、経費は二重に掛かる。しかし転勤費用も補助手当もない。時々来る社長に1万円のポケットマネーを貰ってなんとか生活をしていた。

 社長と読んでいたが本当は副社長で社長は本社の北海道にいる。何かのことで副社長が父である社長と喧嘩をして新たに会社を興した。私はそこに移籍するように命ぜられ、完全に東京に住むようになった。

 会社の売上はそこそこにあり、最初は順調に経営されていたが、そのうち今度は本当の社長になった人が前の会社から人をじゃんじゃん引き抜くようになった。当然経費も嵩み、会社の経営状態はみるみる悪くなってきた。こんなことをどうして考えもなしにやったのか、私には分からなかったが、そのうち給料は遅配になるし、ボーナスなんて夢のまた夢になった。

 12月の給料も遅配で、半分は25日に貰ったが後の半分は30日。やっと正月が越せたが、もう駄目だと思った。それに社長が東京にやってくると夜の2時とかに電話が掛かって来て泊っているホテルに呼び出される。急用だろうとタクシーを飛ばして駆け付けると何とはない雑談。退屈だから私を呼びだしたと知れる。

 そんな生活が続いて私はもう駄目だと退職したが、次に行った会社も似たり寄ったりのブラック企業。ここでは相当働いたが、ブラック企業にそう長くは勤められない。私は自分の会社を興すことにした。

酒巻 修平

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