各国のコロナ対策は間違っている

 あらゆる生物には命というものがあり、それがなくなるのが死である。死は必ずやってくる。生物が繁栄するには死は必要な過程である。

 本体全体の死に対して人の精神はそれに向かうための準備をする。命には心があるので死は悲しい出来事のように思えるが、本来は悲しいできごとではない。

 生物とは自己複製する系であるので、生は生を呼ぶが死がないと社会は混沌となる。自己複製は人全体だけではなく、無数の細胞も毎日死を迎え、そして再生されるのだ。

 それが新陳代謝で細胞の死がなければ再生はスムースにいかない。この死はアポトーシスというがアポトーシスがない細胞が発生すると癌という恐ろしい状態が体にできる。

 死は再生の前提状態でもあるので。人が老化し、死ぬのには精神がそれに向かって準備をするが、その準備がないまま死が訪れると病死ということになる。

 病気の原因やその機序がすっかり明らかになってはいないが、複雑な生物の体には病気は付きものである。

 その病気が原因で死を迎えると精神はまだ準備ができていないので、人は大変な恐怖を味わうであろう。人が文化を築き意識が目覚めたころから死という状態が必ずやってくるのを知っていた。

 一方それが人の再生の原動力になった。だが病死はその埒外にある。人は嘆き悲しみ、それが故に病気の治療に対して人は多大の努力を多大な時間を掛けてやってきた。

 不幸なことに病気を完全に治癒することは達成できず、病死は自然死より多く発生するのは歴史を見ても歴然としている。

 その病死の原因の一つが細菌やウイルスによる伝染病である。インフルエンザでは過去多くの人がなくなった。記憶されている限りスペイン風邪、香港風邪などいまだに歴史に記載されている。

 そんな大流行でなくても日本では毎年3000人以上がインフルエンザで亡くなっているのだ。しかしそれはまだ少ない。一般の風邪では毎日平均57人が死亡しているし、肺炎に至っては年間の死亡数は100000人を超える。

 コロナはどうであろうか。例の観光客船での死亡者を入れても1000人程度である。病死は悲しいできごとであるが、病死を人は避けることができなかった。

 この1000人は人の社会を変える出来事であろうか。上記のように他の伝染病ではもっともっと多くの人が亡くなっているというのに何を騒いでいるのであろうか。

 1000人の病死の悲しみに対して我々は社会を悪い方向に舵を切ってはならない。悲しいことではあるが、1000人である。他の病死に比べれば極めて小さい数字である。

 肝臓病、腎臓病、心臓病などなど病死は社会を変えたであろうか。それらを失くす努力はしているが、社会を悪い方向に変えたりはしない。

 どうしてコロナだけが社会を変化させるのであろうか。社会は人の営みの状態であるので、コロナが社会を変えたのではない。コロナを恐れるあまり人が自分自身で社会を悪化させたのだ。

 14世紀に流行したペストでは全ヨーロッパでは1/3もの人が亡くなっている。そしてそれに対応するため、人は古代を終了させ中世に入った。

 産業、農業革命を起こし、社会は却って繁栄した。病気ではないが何度かの大戦が中世を終わらし、現代を人は作り上げた。

 このコロナによる社会の混乱はどうして起こったのであろうか。飲食店の多くは閉鎖され、結婚式を初めとするイベントは中止された。それらに従事する多くの人が経済的な困難に陥っている。

 1000人という数字を忘れてはならない。政府の対応の悪さやマスメディアの営業的な目的が恐怖を引き起こし、社会は混乱の極めを示しているのをはっきりと意識しなければならない。

 経済活動を本格的に作動させよう。外出して飲食し、いままで通りイベントを起こし、社会を正常な状態に戻そう。充分な理解の元にこのコロナという小さな伝染病を克服し、より良い社会を築き上げなければならないのに、それができていない。

 現代人の能力が低下したのか、相変わらず政治は無能なのか。官僚は本当の職務を果たしていないのか。マスメディアは自己の利益のために社会を歪めていないか。

 我々一般人は彼らの行動を許してはならない。社会を健全にしこの小さい流行病の悪影響を克服する必要がある。

酒巻 修平

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