まだ解明されていない人体の機構に関する10の謎(1)

  斬新な物理理論が構築され数学に関する難題が解き明かされている中、人体の機構の根本的な解明が進んでいない。例えば病気は何故発症するのかなど医学の進歩に大きく貢献すると思われる研究は進んでいない。

 宇宙のような広大で望遠鏡だけでは本当の実態が不知であっても、科学は徐々に謎のベールを剥いでいっているのに、一番近くにある人体の機構に不明の点が多い。何故であろうか。

 学者がある未知の事物を解明しようとするとき、思い付きが最初に来るリアクションであろう。その思い付きを仮説に昇華させ実験や観察により確固たる理論を打ち立てるのだ。

 人体の機構が如何になっているか考え理論立てるのは医学ではない。医学は症状の軽減、消滅を意図している。症状を起点として人の制御機構に少しでも深く入っていこうと努力しているが、人体の作用の起点は遥か遠くにある。

 人体の機構は複雑で深淵である。バクテリアのように生物かどうかもはっきりしないような単細胞を持った存在から宇宙のことを考えるような脳を持った人に進化するには何億年も掛かった。人が複雑な生命機構を備えたのは進化の過程での積み重ねに他ならない。

 そんな機構を解き明かす第一歩を考えるのはただ学者のみに許されているわけではない。誰もがそれに参加できる権利を持っている。それを私もやってみたいと思う。

1. 人体は如何にコントロールされているか

詳細はともかくベーシックな方法さえまだ解明されていない。優秀な学者が多くこの問題に取り組んでいる筈なのに、端緒さえ見つからないのは何故であろうか。学者には思い付きもないのだろうか。そんなことはないだろう。多分既知の方法ではアプローチできないのだ。

人体にはコントロールされなければならない多くの臓器や組織がある。それらには決められた役目があり、その役目は複数であるのは知られている。そして絶えず活動し、互いに連携しながら人体の維持に努める。

例えば目。道路を歩くときは、目的地に着くよう、危険を回避するように光景に関する情報を絶えず取り入れ、その情報に基づいて足を動かす。木々が芽吹くことを目にして春が訪れたことを察する。目は脳、筋肉などと連携を取るためのツールである。

歩くときは前に進むよう、倒れないように筋肉が調整されている。腹が減れば食料を求めてそして食べる。体内で不要になったものを排泄する。空気を吸って血液の浄化を図る。

極めて複雑なことを数多く一度に行わなければ人は生きていけない。ここで幾つかのことが明らかになる。脳や機関が命令を起こし各器官が連携して作業を行う。各器官は結果を脳に報告する。

現状が脳に報告されて脳は動くが、心臓や肺などは必ずしもそうとは言えない。もともと決められた行動規範に基づいて絶えず役目を果たしている。そんなマニュアルはどこに保存されているのだろうか。

こんな思い付きを発展させていけばあるいは人体がいかにコントロールされていくかという基本的な方式に辿り着くかも知れない。実験や観察を経ないで考えて、論理に達することを考究という。人の素晴らしい能力である。

さて複雑な機構を瞬時にコントロールするにはどうするのか。筋肉、血管などが作用するホルモンなどの化学物質を速やかに運ぶのだろうか。しかしその化学物質はどこで造成されるのであろうか。

前方の光景から本人が意図する脚の運びをするにはどんな化学物質がどのように作用するのか。どうもそれだけではスピードが達成されないように思える。

音を発するのか。少し近いように思えるが音の伝わる速度は早いジェット機とスピードは変わらない。もっと速い伝達手段はないのか。ここで思い当たるのが光である。光は電気と表裏の関係にあり、この電気を使い命令は各器官に伝達していると思い至る。

光はon-offあるいは強弱の二種類のフェーズを使い、どんな複雑なことも信号に変えて伝えることができる。今はあまり使われていないモールス信号もその一種である。電話も電気が伝達の媒介をする。

命令を起こす原因は二つ。脳が各器官からの情報に基づいて動くか、生まれつき組み込まれている作業方式が各器官にあるか。脳と各器官は絶えず情報の交換を行っている。人体のことで分かっていることからしてもそれはデジタルな電気信号が用いられると断定できそうな気がする。

電気信号はコンピューターの動きを見ても分かる通り複雑な作業を極めて迅速に間違いなく達成させそうだ。この考えを起点にして矛盾が生じたとき修正、あるいは考えの練り直しをしていけば良いだろう。

必要とされる電気はどこからくるのだろうか。自然から取り入れるのか人体が製造するのか。自然界では電気はどのようにして発生するのか。それは摩擦であろう。稲光も摩擦で発生する。

人体では電気を発生する摩擦があるのだろうか。これは簡単だ。心臓は絶えず動き、筋肉と筋肉が摩擦を起こす。肺もそうだ。歩くと骨と周りの筋肉が擦れて小さくはあっても電気を起こすことは充分にある。歩くのは運動という目的以外に必要とされる電気を発生させるには有効な手段である。

余談であるがソクラテス一派は逍遥学派と称され、哲学的な思考をする時は歩いたという。逍遥とは歩くという意味だ。

さてこのように人の体がどのように動くかを少し考えた。勿論思い付きであっても、出発点には違いがない。ここが解明されると人体をより深く知る出発点になるだろうし、病気の治癒にも役立つだろう。

続く

酒巻 修平

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