想定外の不思議

  政府は今まで起こったことがないという理由で想定外であり、関係機関(会社を含む)には責任は薄いとの見解を示すことが多い。例えば3・11の三陸沖に発生した地震、所謂東日本大震災ではマグネチュードは9.0と推定され、想定外とされた。

 ところが過去にはもっと高い津波が来たこともある。そして1933年、1896年、1611年、869年にも今回の津波と同様あるいは時にはそれ以上の津波が押し寄せている。

 こんな記録が素人の私でも容易に検索できるのに、危険な原子力発電所の責任者や政府関係者が想定できなかったとしている。

 どういうことだろうか。それは関係者の責任逃れ以外の何物でもない。特に東京電力にはリスクが高すぎるとして東京工業大学の教授たちもリスクを回避するべしとなんども進言、提案していたにも関わらず、怠惰にもその提案を考慮もしなかった。

 私は東日本大震災の模様をテレビで見ていた。東京でも震度5強を観測してので、とても関心があった。津波が押し寄せ多くの家屋、車その他のものも押し流されてゆく。

 マグネチュードは8.2くらいとその時報道されていたが、それが急に9.0になった。とても不自然で私は直観的にこの数字は捏造されたものだと察した。8.2は過去に何度もある。

 それを想定外にするには過去になかったような数字を当て嵌めなければならないのだ。マグネチュードはどのような基準で表されるのかは知らないが、8.2が急に9.0になった理由には説明はなかった。

そんなこととは違うが最近少し思うことがあり、財務省に電話で問い合わせてみた。我々の銀行預金がハッキングで窃盗されたら、銀行は損害を保障してくれるのかと疑問を持ったからだ。答えは仮定の話には答えようがないとのことだった。

 これも一種の想定外との扱いである。実際すでに2,3銀行預金がハッキングで盗まれた事件がある。それでも想定外あるいは仮定の話には答えようがないと言うのか。さらに追い詰めると財務省の担当者は「意見としてうかがっておく」と逃げ口上を発した。意見は真剣に取り上げられれば効果はあるが、財務省の担当者の態度には真摯なところが微塵もなかった。

自分自身が被害に会わなければ仮定の話になるというのは解せない。それを知ったものだから、銀行、財務省その他関係機関に電話したのだが、意見は聞いておくというのが統一した答えだった。

 銀行は預金に関して「善良なる第三者の管理」をすることになっていると考えられるが、もし誰かの預金が盗まれたらどうするのだろう。銀行がお金を預かれば善管義務が発生する。しかし預かった方に落ち度がなければ弁償しなくても良いという規定がある。

 この点に関して銀行の担当者は事案ごとに対応が違うと言う。それでは我々の銀行預金の安全性は100%保てるとは思えない。預金は銀行にあり、相応のハッキング対策はしているであろうが、我々が自身で守ることはできない。

 こんなことは諸所にある。政府、大会社その他大組織は目先のことにしか対応しない。だから何か事件が起こると想定外を繰り返し、被害者は救われることが少ない。

 交通事故に関してもそうだ。アメリカでは事故が発生することを想定し、一番高速で走行するレーンのさらに右(日本とイギリス以外車は右側通行である)に予備のレーンが設けられている。事故が発生しそうだったらそのレーンに逃げ込めば良いのだ。

 医療過誤に関してもそうだ。基本的に医療過誤は想定外とされ、事故が発生してときにはそれぞれ独自に対応している。しかし事故は絶対避けて通れない。想定内として何等かの対策をしておかなければならないのではないだろうか。

 社会を良くするには政府が動けば効率的である。しかしどうも政府にはそんな未来予測、即ち想定というものが存在しないようだ。これでは必ず犠牲者が出てそのとき慌てて対応を検討することになる。

 日本も老人社会になってきた。想定外と称する事案も多くなるのではないか。後期高齢者の認知力検査は必要であるが、試験会場を探すのは至難の業だ。これも小さい想定外ではないのか。

酒巻 修平

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