押しかけ猫
近所の野良猫が子供を産んだらしい。妻は猫が嫌いだからそんなことを聞いたのは妻からではない。帰宅途中、ほんとに小さい猫が何匹もいて蠢いていたからだ。
その内何匹かは死んでしまい、残った生命力の強い猫があちこちに出現するようになった。公園へ上る階段に居て行く人にじゃれて歩行の邪魔をするやつもいる。
こいつは人懐っこくどんな人にもじゃれつくので可愛いが踏ん付けたら死んでしまうので、階段の上がり降りをする人はとても気を遣う。だから自分自身が階段を踏み外す危険がある。
野良猫の死因はほとんど餓死だろう。くだんの猫も食料を求めて我が家の縁側に姿を見せる。可哀想だから妻がつい食べ物をやった。にんべんの鰹節だけだったが、その内キャットフードを買って来てやるようになった。
猫嫌いの妻にしてはどうした風の吹き回しなのかと傍観していたが、猫は毎日やってきてはにゃあにゃあと食べ物をねだる。ねだるときには妻の顔を見るようだ。
前に犬を飼った時もそうだった。犬を怖がっていた妻だったが、犬が妻にじゃれつくので情が移ってしまった。
それと同じことが起こるのではないかと思ったが妻は猫を触るのも嫌だし、病気を持っているから猫の傍にも近寄らなかった。まさかとは思ったがそれは起こった。
妻は自分の要求を直接的な言葉では表さない。その猫を飼いたいとは口が裂けても言わない。でも猫の話題が多くなってくる。
今日は来るのが遅いとか他の猫も沢山来たとか私に訴えるように話す。私は関心がなかったので、黙って聞いているだけ。
そのうち「野良猫は保健所に見つかれば捕まえられて殺処分になる」と言い出した。それでも私は黙っていた。そうすると私を非難するような目で見る。まるで人非人であるかのような目だ。
何故私がそんな目で見られるのか心外だが、どうもその猫を飼いたいということらしい。妻の行動手法はいつもそんな調子。はっきりと飼いたいと言えば済むものをと思うがそうはならない。
仕方なく猫を動物病院に連れていった。でも私にはまだ飼う意思はない。いつも来る猫に病気がないかなどの検査をするのが目的だった。そこの医師は女性。この女性はまた妻とは違う手法で猫を飼うことを勧める。
連れて行った猫には「この子」とは言わず「この人」と表現する。呆れてしまったが言動は柔らかく私の目を訴える表情で見る。まるで飼い犬が主人に構ってもらいたくて見るような表情だ。
病気はないようだった。連れて帰ってしばらく家に中に入れていたが、今度は出て行かない。この猫もメスだ。どうも女のやり方には逆らえない。妻は時々その猫を家に上げるようになった。
私は負けてはなるものかと無視する毎日。もう年だしこの猫を飼うと猫より先に我々の寿命が尽きると思っているからその時には誰かに面倒を見て貰うか野良に逆戻りしなければならない。
そんな無責任なことをしたくない。私はどんなことにも責任を取るのが好きなタイプだ。猫を飼うと自分が死んだときのことを考えなければならない。
私は相当な年なのに妻の習い事の経費を捻出するために仕事をまだ止めていない。言うと叱られそうだが妻を飼っている積りだ。ときどき臨時のお小遣いもやるし、たまにはフランス料理を食べに連れてゆく。
猫を飼うと更に負担が増える。妻を飼うだけで精一杯なのに、その上猫。どうも気が重い。でも猫は最近時々外に出すだけで寝るのも家の中、元気が良いからそこら中を掛けずり回っている。
私が仕事でコンピューターを操作しているとキーボードの上を歩くものだから画面に出鱈目な文字「とかどしとみさ」とか表示される。
妻を飼うことになったのも飼ってもらいたそうな目で私の目を見たからだ。この猫も時々そんな目を私に向ける。
酒巻 修平