スポーツ競技の指導者、団体幹部

  一国の経済活動とスポート選手の活躍に相関関係があるかどうかは議論の分かれるところだろうが、最近の日本選手の世界的な好成績には目を見張るものがある。

 卓球、テニス、バドミントン、水泳、フィギュアスケート、数えればきりがないほど、各分野で日本選手は好成績を残している。

 だがその裏には他人に言えないほどの苦労と努力がある筈で、テレビでもそんなことが度々放映される。

 全ての時間を自分のスポートに捧げ体を酷使して精進する様は凄まじいものがある。これほどまでにしなけれれば現在世界で名が出るほどの成績を残せない。

 他国の選手はもっと真剣かも知れない。貧困な家庭に育ったスポーツマンは家計を支えるためにも結果を出さなければならないし、無様な成績で終われば国中の侮蔑に晒されることもあるだろう。

 さてそんな良い成績を長年に亘って挙げた選手はその競技団体の幹部への道が開かれる。自分の辿ってきた軌跡を後進に伝え、指導することから始め競技団体の幹部へ上ってゆく。

 現役時代にも後輩を指導する局面はあるだろうが、団体競技においても自分がやることは自分自身を磨くことにほぼ限られる。

 指導者と競技者は全く違う観点でものを考え、行動しなければならない。指導者に求められるのは選手を如何に鍛錬し、より高い結果を残させるようにするかである。

 指導者や団体幹部には自己を捨て他者のためにつくすことが求められる。会社の経営者も同じだ。会社を設立し、発展させる過程で経営者はスポートマンがやったのと同じ努力をするものだ。

 経営学を勉強し、会計学、税理、法律、人事、将来の展望などを見据え失敗を繰り返しながら少しずつ前進する。これは課題こそ違え、スポート選手が行うことと精神は同一である。

 しかしながらスポート選手が引退して団体の幹部になって行く過程でそのような努力をするのだろうか。

 オリンピックで金メダルを取った選手などにはある程度のレールが敷かれ、幹部になる道筋が決まっているようにも思える。

 その人たちは現役であったころと同様血のにじむような努力をして経営を勉強し幹部になってゆくのだろうか。色々報道をされる醜聞に接するにつけその人たちの努力の跡は見えない。

 スポーツ団体は選手たちが鍛錬する機会を与え精神的物質的なサポートをするためにある筈だ。

 それが団体幹部の利益のために存在しているのではないかと穿った見方をするのは皮肉れた考えからくるだけとは断じられない。

 経済的に恵まれた団体の幹部たちは太平の夢から覚めず、高収入を得て所属する選手のことより先に自分自身の利益を優先する。

 それが相撲協会、フットボールその他の幹部の不祥事により露見した。しかし露出したのは氷の上だけで水面下の隠れた部分は知らされないで終結される。

 これは次の幹部が同じことをすることの前奏曲ではないだろうか。一個人だけが特別悪辣であれば全てを明らかにすれば良いのにそうなった例はない。

 私は相撲という競技が好きだが相撲協会には唾棄すべき行動が多い。幹部経営者になるにはそれなりの多大な努力が必要だが、そんなことをしている人は稀だ。

 自己の利益の土台となる協会のために力士には毎日ほど巡業をさせ、怪我対策や暴力防止の対策を一切やっていない。八百長も蔓延している。

 何か理事だ、理事長だと言いたい。会社の経営者は死ぬほどの努力をしている。それでも会社の明日は知れないのだ。スポーツ団体の幹部がそんなことをしているとは到底思えないのはトラブル収拾能力が全くないことを見れば分かる。

相撲協会が公益財団法人で国からの特別な優遇措置を受けている。そうであれば幹部への徹底的な業務監査を行い、必要であれば馘首などの厳しい処断も視野に入れても良いのではないか。

IOCの幹部は次のオリンピック開催地を決定するのに際し、多大なリベートをとり、フィギュアスケートの審判が金で買収されることもしばしばだ。そんなことに国際的な罰則規定を設けるべきだと思う。

酒巻 修平

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