カードローンとギャンブル

 電車にカードローンの広告があった。することもないので何気なくその広告を見ていたが、ふと銀行の営業姿勢に疑問を持った。

 カードローンを利用すると所謂ブラックリストに登録され、住宅ローンは組めないし、会社を経営していればその会社は銀行からの融資を受けられない。これは銀行の融資担当者から聞いたことだから真実であろう。

 銀行は今や斜陽産業で生き残る作戦を必死で策定して実行しているのであろうが、これはダブルスタンダードである。

 日本の精神構造は仏教に影響されることが多いが、仏教の基準的な考え方は許すということだ。立派な考え方だが、これを人は楽な方、或いは恣意的に解釈して嘘を言っても許される、犯罪も75日で忘れられると思い込むのだ。

 こうしてダブルスタンダードも銀行が生き残るためには仕方がない、許してもらえると錯覚する。

 社会構造の変化もあるが銀行が斜陽になり、生き残ることができないのは政府の姿勢によることが多い。

 今や経済優先で金利率はほぼ0に近く、まして銀行法という前近代的な法律に縛られて銀行は息の根が止まりそうだ。自由にビジネスを進めることができない。

 だが金利をいくら下げても流通する貨幣の量をいくら増やしても経済は活性化しないということを行政は意識していない。

 経済をグローバル化させ、国境を失くして活性化を図るのは却って経済を疲弊させるのだ。過当な競争で利益率が低下するものだから余計に流通量を増加させなければならない。

 これは痛み止めをするために麻薬を投入してその量を増やすのに似ている。やがて経済は停滞から縮小に向かうだろう。

 マルクス経済学や近代経済学が時代遅れの学問であるのはものを少しでも考えれば分かることだ。ましてコンピューターがこれほど発達すれば猶更で、我々は新しい仕組みを構築しなければならない時期に来ている。

 その新しい枠組みを行政、特に日本では構築する機運もない。記憶力だけで東京大学に入り、優秀な記憶力に物を言わせて官僚になった人物には新しい枠組みなど作れるはずがない。

 これを改革しようとしてもがっちりとガードを固め、政治家の介入を徹底的に阻止しようとする官僚たちは自己の利益だけを考え、国家の大計を組み立てる能力などはさらさらない。

 ダブルスタンダードと言えばギャンブルもそうだ。公営の競輪競馬は公然と行われ、パチンコも盛んだ。

 刑法にはそれを許さない規定があるが、その規定は行政には及ばないのだ。行政は刑法を踏みにじり、憲法違反もすることを躊躇わない。

 コロナ対策もこのダブルスタンダードを元に策定されている。野球の試合では5000人に限り球場で見ることができるとするが、彼らは多く内野席に集まり、いわゆるソーシャルディスタンスは守られていない。

 病気と経済対策はこのダブルスタンダードに準拠している。病気を抑える対策をすれば経済が滞る。経済を優先すれば病気の流行が収まらない。

 本来はダブルスタンダードが得意な日本の行政だが、それが公然と許されると威力を発揮できない。

 与党と野党は対立する考えの元に存在している。それはダブルスタンダードではない。どちらの考えを取るか国民が決めることだが、野党は与党の正当な施策をも非難する。

 その裏では献金をできるだけ受け入れてあるいは賄賂を取って、真に必要な反対をしない。ここにダブルスタンダードがある。

 アメリカ人はダブルスタンダードが得意ではない。だが何とかコロナ対策をしている。どうして日本の行政は有効な対策を建てられないのか。

 公営ギャンブルを行政が許すなら国民にも許可しなければならない。カードローンを推し進めるならそれを利用した人にも表の金を融資しなければならない。

 もういい加減にして正々堂々とルールを作りクリーンな社会を構築しようではないか。それが日本をより一層発展させる原動力になると思うのだが。

酒巻 修平

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